ブラッドリー『仮象と実在』 129
第二十一章 独我論
[問題の設定]
第一部で我々は事実を扱う様々な方法を検証し、それらがすべて現象以上のなにももたらさないのを見出した。第二部において我々は実在の本性に取り組んでいる。そこで、ある程度はその性格の一般的観念を形成し、それに対する多かれ少なかれもっともらしい反論に対して身を守ろうと試みてきた。これからの残りの部分についても、同じ仕事に従事しなければならない。世界の主要な側面がどのように我々の絶対のなかで場所を得ることができるのか確認するよう努めねばならない。もしすべてがなんらかの場所を得ることがわかれば、我々の結果は攻撃に対して身を守れると考えられる。それでは、この章の表題となっている問題に入っていこう。
我々は自分の私的な自己を越えたなにものかの存在を信じるに足る根拠をなにかもっているだろうか。そうした信念を支えるに足る最小限の権利でも持っているだろうか、それともそれは文字通り、妄想でしかないのだろうか。公平に見て、この問題に直面することに気乗りのしない様子を見せる形而上学者もいるように思う。だが、この問題を避けることはできない。我々は皆我々を越えて広がる世界を信じ、それをあきらめるつもりはないのであるから、その理論を錯覚だとするなにかがあるなら不面目なことであろう。人間の本性に本質的な姿勢を説明せず、正当化もしないような見解は、確かに糾弾されて然るべきである。しかし、他方において、難問とされる問題がいかに間違った教義に基づいてつくりだされるものかもすぐ見ることになろう。我々の一般的理論の上では、それらは基盤を失い、消え去ってしまう。