ブラッドリー『仮象と実在』 135

...[また、他の自己の非実在性が独我論を証明することはない。]

 

 ここまで、直接的経験が独我論の基盤ではないことを見てきた。更に、もしそうした経験を超越したとしても、我々は独我論により近づくわけでないことを見た。というのも、我々は自分の自己を確立するのと同じ程度の過程を辿って他人の自己にたどり着くことができるからである。先へ進む前に、副次的な点に注意を促しておきたい。例え私が自分の過去の自己を持つ権利は持ちながら、他人の自己を実在として受け容れないことができたとしても、それでも独我論は盤石ではない。このことから、私以外は何ものでもなく、全世界は単なる私の自己の状態であるという結論は出てこないだろう。唯一の帰結は、私でないものは生命がないに違いないということだけだろう。しかし、この結論と独我論の間には越えることのできない深淵がある。所与から出発し、あらゆる要素を呑込み、所有し、しかもそれとは区別されるような自己を構成することはできない。