一言一話 48

 

神話の三つの読み取り方

1.空虚なシニフィアンに焦点を合わせるとわたしは、概念が神話の形式を両義性なしに満たすままにさせることになる。わたしの眼前にあるのは、一つの単純な体系であり、そこではシニフィアンは再び字面どおりのものに戻る。敬礼するニグロはフランス帝国性の模範であり、フランス帝国性のシンボルである。この焦点の合わせ方は、例えば、神話の生産者、新聞の編集者のものである。彼は概念から出発して、概念のために形式を探してやるのだ。

2.充実したシニフィアンに焦点を合わせると、そのなかでわたしは、形式と意味を、したがってさらには、一方が他方に及ぼす変形を、明確に区別する。わたしは神話を解体し、神話を詐欺として受け取る。敬礼するニグロは、フランス帝国性のアリバイとなる。このタイプの焦点の合わせかたは、神話学者のそれである。彼は神話を解読し、変形を理解する。

3.最後に、意味と形式がもつれあった全体としての、神話のシニフィアンに焦点を合わせると、わたしは両義的な意味作用を受け取る。わたしは神話を構成しているメカニズムに、その固有の動力学に反応するのだ。わたしは神話の読者となる。敬礼するニグロは、もはや模範ではないし、シンボルでもないし、ましてやアリバイでもない。彼はフランス帝国性の現前そのものである。

「神話」というのは、もちろんバルト的に用いられた、現代社会で様々なメディアを通じて形成される紋切り型の固定観念のこと。