ブラッドリー『仮象と実在』 144

[これらの疑問は重要ではない。280,281]

 

 非有機的な自然は恐らく存在しないことを我々は見てきた。可能ではあろうが、現実にあるかどうか言うことはできない。しかし、あらゆる限定された諸主体からこぼれ落ちる自然に関していえば、我々の結論は異なっている。我々はそれを現実のものととるいかなる根拠も発見できなかったし、厳密に理解すると、それを可能だという正当性さえ見いだせなかった。こうした問題の重要性は、他方において我々が主張したように、過大評価されている。というのも、それらはすべて、失われるのではないにしても、絶対のなかでは超越されてしまう区別に基づいているからである。あらゆる知覚や感覚が有限な魂を経ねばならないかどうか、突出しており有機的なものに組み込まれないような物理的性質が存在するかどうか――そうした魂を直接に条件づける組みあわせ――そうした探求は極めて重大というわけではない。我々はそれらに答えられないということもあるし、我々の答えには積極的な価値がほとんどないこともある。有機体間の相互関係、非有機的なものからの分断、また、互いの、また全体からの有限な諸経験の分離――それらは、そのものとしては、いずれも絶対のなかでは維持され得ないものである。あらゆる多様性よりも豊かなひとつの実在がそうした限定された現象を吸収し、溶解してしまう。なんらかの特殊な経験を直接に形づくることのない性質の余白があるかどうか、また、直接感覚の中心に資する組みあわせの外部になんらかの物理的ひろがりが存在するのかどうか――結局のところ、こうした疑問は我々の疑問でしかない。その答えは我々の力を越えた表現方法に翻訳されるまでは、絶対においては意味のない言語でしか与えられないに違いない。しかし、絶対において意味のある表現をされると、それらに付与されていた厳密な区別の重要性は失われることが見てとれる。そして、我々の観点からすると、こうした問題はある部分解決不可能であることが証明された。我々の回答の価値とは、主に、部分的で、一面的な教義を否定することにある。