一言一話 51

 

オブジェ

オブジェは<始動>させる。それは観念よりも測り知れぬほど迅速な、文化の媒介者であり、<<場面>>とまったく同等に能動的な、幻覚の生産者である。それは必ずと言ってよいほど場面そのものの底にあって、場面にあの<刺激的>な性格、言いかえればもっぱら召喚者的な性格を与えており、それこそは文学を真に生きたものにするものなのである。アガメムノンの殺害には、彼を盲目にした執念のヴェールがあり、ネロの愛にはジェニーの涙を照らしだしたあの松明と武器があり、ブール・ド・シュイフの屈辱にはあの内訳まで記された食物の籠があり、『ナジャ』にはトゥール・サン=ジャックとオテル・デ・グラン・ゾムがあり、『嫉妬』には嫉妬が、壁に押し潰された虫があり、そして『モビール』にはペィオトルと二十八種の香料が入ったアイスクリームと十色に塗り分けたバス(ここにはまた黒人たちの色もある)がある。一つの作品を<忘れ難い>、子供時代の思い出のように忘れ難い事件とするのはこれなのである。子供時代の思い出のなかでは、習い覚えたあらゆるヒエラルキーと押しつけられたあらゆる意味(<<人間の心の真実>>といったたぐいの)を超えて、特徴的な小道具が光り輝くのである。

クリストファー・ノーランの『インセプション』のコインに当る。思うに、最近のノーランがいささか退屈なのは、コインの当るような小道具がないためもあるだろう。