ケネス・バーク『動機の修辞学』 28

.. イメージと観念

 

 イメージを強調することは、観念に反対することを含んでいる。エドモンド・バークは、間違いなく、観念とイメージを相互に補完するものとして扱いたがり、彼の処方によれば、重要な言明はすべて考えとイメージと感情を持っているべきである。ウィリアム・ハズリットは「想像力の諸観念」と言うことで一挙に両者に橋を架ける。

 

 カントでは、「観念」は<理性>に属している。感覚の直感と悟性の概念からなる観察され実証される経験とは対照的に、「原理」の領域にある「弁証法的な」ものである。例えば、「家」と言うことで、我々は、感覚のすべてを「家」という概念でくくって、広範囲にわたる多様な感覚を一つの意味にまとめ上げる。

 

 明らかに、我々が家を見るとき、その「イメージ」は現代の詩の理論におけるイメージとは一致しないだろう。むしろ、カント的な意味での「イメージ」はアリストテレスに近しいように思える。五感を通じて知覚され、想像力において想起されたり予期されたりするものである。他方、「詩的な」イメージは、かつて存在したことがなく、これからも決して存在しないだろうものを<あらわす>ことができる。ハズリットの用法がここでは考慮に値する。ある家の「詩的な」イメージは、経験的実証的なものを越えた言語操作を許す弁証法的意味をもつ限りにおいて、ある家の「観念」でもある。詩のなかにあらわれた家を<指さす>ことはできない。たとえ詩人が心のなかにある個別な家を持っていたとしてもである。彼の「家」という語は、家の<概念>とは異質な諸関係をも<あらわしている>からである。<概念上の>家は、これこれの構造、材質、大きさ、などをした住居である。<詩的な>家は<様々な同一化>によって建てられている。(子供時代の苦労と結びつくこともあるし、子供時代の大いなる庇護に結びつくこともあろう。戦いからの退却地点、あるいは攻撃の拠点にもなる。「母性的な」家と「父性的な」家ではその動機づけが対照的なものとなる、等々)。

 

 こうした詩的なイメージを取り巻く語の本来の意味とは別の内密の意味が、知的に理解される「観念」と同じではないなら、それらが実証的という意味で経験的でないことは確かである。詩的なイメージの含意や響きは、少なく見積もっても「曖昧な観念」であり、批判的な分析によって十分な明晰さで「観念上の」等価物を示すことができる場合もあるし、「想像上の」意味がイメージのなかに<融合されている>場合もある(詩においてのように)。

 

 古代の修辞家は、通常、「非限定」(あるいは「一般」)と「限定」(あるいは「特殊」)の区別に多く関心を寄せている。(あるいは、ギリシャからの伝統によって「命題」と「仮定」。)トマス・ウィルソンの『修辞学』から、クインティリアヌスの一節を敷衍している部分を引用すると。

 

非限定的な問題は、一般的に、時間、場所、人物などを含意することなしに提示される。つまり、特定の事物が示されず、言葉だけで一般的なこととして語られる。結婚するのがいいか、独身でいるのがいいか。宮廷人の一生がいいか、学者の一生がいいか、といったことである。

 限定的問題は、場所、時間、人物を定め、指示した上で述べられる。英国のいまここにいる聖職者は結婚した方がいいのか、独身でいた方がいいのか。この王族は、異国の者と結婚した方がいいのか、臣下の一人と結婚した方がいいのか、などである。限定的問題は(特定の人物に関わることなので)法律上の特殊な問題を扱う弁論家の目的にもっとも適している、・・・等々。

 

 

 観念とイメージとの関係が困惑の度を深めれば深めるほど、古くからの「非限定的」問題と「限定的」問題との区別に従って考えるべきだと感じられてくる。人は、「安全」一般について書くことができるが(諸条件に言及することなく「非限定的」に)、意識の縁には彼にとって安全を意味する特殊な場所や条件のイメージがある。あるいは、安全の問題一般に「意識的に」言及しようとは決して思っていないにしても、自分にとって安全の「観念」をあらわす特殊な場所や条件のイメージを集め、それをイメージの選択と扱いを導く組織化の原理とする者もいる。

 

 つまり、生な感覚を再現する形象と対照的に、<詩的な>形象の生産性の背後には、<組織化の原理>が存在する。そして、鋭敏で十分な手段と分析の言葉があれば、組織化の原理は<観念>の語彙で表現することができる。それは理性の領域である(「原理」と「観念」は「弁証法」の領域である)。そして、詩的想像力にも共有されている(それ故、コールリッジの等式、詩的な領野に「想像力」を置き、哲学と倫理の領野に「理性」を置くことには正当性がある)。

 

 要約。詩的イメージが体系的に関連しあっている限りにおいて、その背後には形式化の原理が存在する。イメージはその原理を<具体化している>と言える。原理そのものは、洞察力のある批評家の手にかかれば、<諸観念>(あるいは一つの基本的な観念の変奏として)として言いあらわすことができる。かくして、イメージとは、眼に見えず触れることもできない観念を、眼に見え触れることのできるものとして伝えることだと言える。この点では、プラトン派の<原型>は詩的構造の正確で具体的な記述であるように思える。

 

 ハズリットの非凡な表現「想像力の諸観念」を心に置きながら、我々は観念とイメージの双方に関わる言葉があるはずだと考え始めた。「称号」(あるいは「通称」)が求めていたもののようだった。というのも、修辞家は、求めている反応を得られると判断するなら、ある人間や原因をいかなるものとも結びつけるような「称号」(想像的なものもあればイデオロギー的なものもある)を使うからである。彼は自分の意図と聴衆の一般的な意見を考慮して「称号」を選択する。しかし、このような「称号」(あるいは「称号での呼びかけ」、「同一化」)はアリストテレスの「論題」の別名でしかなく、あまりにたやすく気づかれぬうちに観念とイメージを行き来するので、二つの領域がどうして争っているのか不思議に思えないだろうか。

 

 だが、抽象的な観念で、例えば、安全を語ることと、観念をあらわす具体的なイメージで、「眼の前にまざまざと見せる」こととの間には相違がある。というのも、イメージが想像力の資源を十分に利用するなら、イメージは単なる一つの観念をあらわすのではなく、諸原理の束を含み、それを単純にある観念の等価物とすると相互矛盾が生じるだろうからである。観念的に、公的な安全をあらわそうとするなら、語り手は多くの推論を経る必要がある。しかし、それをイメージにおいて、例えば、母親像に翻訳することができれば、その同一化からばかりではなく、母親のイメージ(あるいは母性原理、あるいは母親の観念)に結びつく多くの近しい原理や観念から得るところがある。そうした様々な意味が内々に「議論」を含んでいても、語り手の主張が<イメージ>に翻訳されると、公然たる<イデオロギー的>言明ではなくなるだろう。例えば、母親のイメージには五つの主要な原理が存在するとしよう(安全、愛情、伝統、「自然性」、交感)。そして、そのどれかに安全を帰し、他の四つの原理にあからさまに言及することのないイデオロギー的議論があるとしよう。さて、語り手が安全に関する議論の締めくくりとして、それを母親のイメージの翻訳するとすると、同じイメージに響き渡っている他の四つの原理からの「不労増収」を得ることにならないだろうか。(つまり、純粋にイデオロギー的な議論の観点からすると「不労」で得られる。)

 

 また、ライプニッツの<微小表象>のように、イメージは歴史において、あるいは人間の個的な発達において、明確な観念となることを待っているとも言えるのであり、人はイメージがあらわす動機づけの<観念>を明確に究明する前に、その性格や行動を<想像>できる。あるいは、観念に確定できないような<諸動機の結びつき>を、劇的あるいは説話的形象や出来事で想像できる。(例えば、ホッブススピノザは、彼らの文化ですでに名づけられていた多様な情念や感情の奥の複雑な動機を摘出した。劇詩人はそれらの想像的等価物を、あるいは抽象的な哲学の図式に還元されない動機の結びつきを提示することができる。)

 

 イメージと観念とを両極端において明瞭に区別してしまうと、両者をほぼ正反対のものとして扱う言葉が期待される。それ故、アリストテレスが詩と哲学との密接な関係を指摘し、キケロが詩と修辞学との密接な関係に言及したにもかかわらず、イメージと観念との区別は、想像力を詩の本質として強調することとあいまって、観念を詩の対立物であるかのように扱う傾向のもとともなり、最終的には、次のような関係に行き着く。つまり、想像力の詩に対する関係は、イデオロギーの修辞学に対する関係に等しい、と。この図式では、修辞家は形象を使って効果を得る限りにおいて、「詩的な性質」があると言われよう。現代美学に多く見られるこうした考え方に従えば、しばしば想像力と論理とは<その本質が正反対のもの>として扱われる(より柔軟な姿勢は、せめて、ある点で両者が一致し、ある点で食い違うものとして扱える用語を求めるけれども)。

 

 感覚主義者の立場も、広く行き渡った「教訓的」詩への抵抗にうまく当てはまり、この抵抗は象徴主義、イマジズム、シュールレアリスムの美学で頂点に達した(詩の本質に「謎」を見ていた中世の思想家たちなら、多分、こうした現代流派の作品に多くの教訓や道徳的モチーフさえ見いだすだろうが)。極度にイメージ過多の詩でも、統合化の原理に従っている限り組織化されている。そして、それが原理である限り、批評が十分に調べれば、観念の領域にその対応物を探し出すことができる。かくして、感覚的なイメージは、感覚を越えた観念を具体化していると言えるのである。いずれにしろ、イメージと観念とを正反対のものとしてみる傾向は、今日頻繁に行われる形象(相互に関連したイメージの集まり)とイデオロギー(相互に関連した観念の構造)との区別をもたらす。「イデオロギー」とは、本来、観念そのものを研究すること以外ではなかったのだが(正義という観念を定義することから起きる様々な問題を体系的に考察したソクラテスのように)、今日では、隠された目的のために形づくられ提示される政治的社会的観念の体系を指している。この新しい用法では、「イデオロギー」は明らかに修辞学の一種でしかない(というのも、諸観念が互いに関係し合い、陰に陽に、社会的、政治的な選択へ誘導しているので)。だが、こうして、修辞的イデオロギーが詩的なイメージと対照されるにもかかわらず、ジェレミーベンサムは、陰に陽に観念のモデルとして役立っているイメージを探しだすように我々に警告していたのだった。

 

 我々は現在どこにいるのだろうか。観念とイメージとは少なくともその両極においては区別でき、ある観点からすれば、反対のものとして扱うことができる、と我々は言ってきた。しかし、我々はまた、イメージがいかに観念と関連し、観念をイメージの組織的な発達の背後にある<原理>として扱うことができるかを考えてきたのである。

 

 同じことを別の言い方で言った例としては、観念論的形而上学で主張されている精神と物質との関係が取り上げられよう。(例えば、『文法』におけるヘーゲルの『歴史哲学』についての箇所を見よ。)その考え方では、関連した自然現象を結びつける統一化、あるいは関連化の原理は、形象で表象される眼に見えず、触ることのできない精神と見なされ、ある芸術的秩序の原理に従って組織化されるイメージの集合は、時間的歴史的条件に対応するもので、その条件に従って普遍的観念が特定の時間と場所で自らをあらわにするのである。<歴史の形而上学>としてこの考え方をどう受け取ろうと、普遍的な目的を表象で具体化するこうした見方は、自然と経験の形象において、<限定された芸術的目的>とその具体化や表象との関係を考えるときに利点がある。形象はその選択や発達を導く観念や組織化の原理の「自然な肉体化」として扱われる。(我々はここで、肉体化する言葉というパウロの公式の世俗的で、美的な等価物を得るわけである。)

 

 形象が観念を感覚的なものに翻訳することだとすれば、反対に、批評は感覚を弁証法的、イデオロギー的用語に、単なる感覚経験を越えた抽象に再翻訳する企てだと言える。そして、イメージを、我々の感覚が捉える単なる「現実的な」事物としてみるのではなく、それぞれの仕方で包括的な組織原理や発生原理を具体化し、他のイメージを<排除>し、他のイメージと差異化するという意味での「否定的な」面も見るのである。これはヘーゲルの「具体化的普遍」のようなもので、それによると、ある事物のある「契機」における特殊性や孤立は、事物そのものによってあらわされる普遍的原理の観点から考えると「現実的」ではなく「否定的」なのである。

 

 形而上学的には、これは疑わしいかもしれない。しかし、形象の移り変わりは芸術全体において考えられるものであり、個別的なイメージの「精神」はそれ自体のうちにではなく、形象を越えた芸術的目的のうちに見いだされる、といった美学の言葉とほとんど変わらないのである。もちろん、批評家がこの発言に同意したとしても、ある芸術作品の背後にあり、それを生じさせるものとはいったい何なのかについては大いに議論を戦わせる余地がある。また、「現実的」と「否定的」との区別は、再び、イメージと観念とを隣り合わせではなく対立するものとして扱うことに通じるのは記しておくべきである。しかし、この傾向は、カーライルが『衣装哲学』で述べたように象徴と象徴されるものとの一致を適用することで、「汎神論的に」逆転させることができる。その公式とは、「物質[つまり、イメージ]は精神[つまり観念]のあらわれであるがゆえに、精神である」というものである。

 

 要点はこうである。この観点から見ると、イメージと観念との正反対の関係は、それらの類縁性を強調することで言い換えられる。すべての抽象は必然的に弱まり混乱したイメージによって表現されるという事実もつけ加えれば、こうした考察が、なぜアリストテレスは我々はイメージなしには考えることができないと言ったかを説明するに違いない。それはまた、<イデオロギー的な>表現の背後に潜む<形象>を明るみにだす方法であるジェレミーベンサムの「虚構の理論」にもあらわれている。