ブラッドリー『仮象と実在』 164

[しかし、関係は不可解なままである。]

 

 同じ結論は因果的な系列を考えることによっても達せられるかもしれない。通常二つの側面は分離不可能であり、一方を無視するのが許されるのは承認を得たときである。しかしその帰結では、いまだ我々は真の因果的な関係には達しない。それがなされるのは、最終的に両側面が一緒に、宇宙から抽象できるという保証によってのみである。原因は全体の原因でなければ、真の原因ではない。周囲の状況、背景にある特定されない諸条件の全体を含めるのでなければ、原因は真の原因ではない。それなしでは、規則性を得るだけで、それは知性によって捉えうる必然性に達していない。しかし、諸条件の全体は単に汲み尽くせないばかりではなく、無限でもある。かくして、因果関係の完全な知識は不可能である(1)。我々の知る原因と結果は常に承認や黙許によって得られている。規則性を観察し、できる限り一方を他方のもとに置き、実際に関係ないと思われるものは取り除き、一般的な事実に還元する――我々は具体的な現象を説明するのにそれ以上のことを期待できない。身体と魂の関わりにおいてそれ以上を求めることは、キメラを追い求めることである。

 

(1)第六章参照。