一言一話 69

 

ラ・ロシュフーコーと怠惰

能動的な情念は最終的にまだしも評価出来る。というのも、それは一つの形をもっているからである。だが、怠惰(または弱さ)は悪徳以上に美徳の敵であって、偽善を育て、美徳の境界で戯れ、たとえば優しさの仮面をかぶる。それは人間がなおすことのできない唯一の欠点である。怠惰の根本的な欠陥はまさしく、無気力さによって善と悪との弁証法そのものをさまたげる点にある。たとえば、人はある種の悪意をもつことなしに善良であることはできないが、人間が悪意の怠惰にとらえられると、まさに善意そのものが人間から不可避的に盗まれるのである。

怠惰が服を着て歩いているような自分には、ロシュフーコーと友達にはなれそうにない。