一言一話 76

 

退屈と悦楽

 どうにもしようがない。退屈は単純ではない。(作品を、テクストを前にした時の)退屈からは、いらいらしても、放り出しても、抜け出せない。テクストの快楽が間接的な生産を想定しているように、退屈もどんな自発性にも頼る訳にはいかない。<真摯な>退屈などあり得ない。個人的に、おしゃべり=テクストが私を退屈させるのは、私が、実際に、要求が嫌いだからである。だが、もし好きだったら(もし私がいくらかの母性愛を持っていたら)?退屈は悦楽から遠くない。それは快楽の岸から見た悦楽である。

快楽の岸から悦楽を見ることは、快楽の特権でもある。