一言一話 84

 

優美感

 優美な運動がリズムに乗り、音楽がそれにともなうとき、第三の要素が介入してくる。それは、リズムと拍子とのおかげで、さらにいっそうよく芸人の動きが予見できるようになり、こんどはわれわれがその動きの主であるかのように思いこむようになるからである。・・・リズムの規則正しさによって彼とわれわれとのあいだに一種の交流が成立し、周期的にくりかえされる拍子は、眼に見えぬおなじ数だけの糸となって、その糸によってわれわれはこの想像の世界のあやつり人形をあやつっているかのようである。・・・その動きのリズムがわれわれの思考と意志の全てとなってしまっているのだ。それで優美感には一種の身体的共感が入ってくるようであり、この共感の魅力を分析すれば、それが精神的共感との間に親和力を有しているためにそれ自体われわれを楽しませるのであり、身体的共感は精神的共感の観念の微妙な暗示となっていることがわかるだろう。

身体的共感が精神的共感の暗示になっているように思う。