ブラッドリー『仮象と実在』 183

[完全な条件とは実在と同一ではない。]

 

 ここで、この一般的な原理から、多様な関心に、まず最初にこの章で与えられたいくつかの難点について考えてみよう。知覚されない自然、魂の配列、「潜在的な」存在の一般的な意味の問題が我々の注意を引いた。私はあるひとつの間違いに注意を向けることからはじめねばならない。観念は実在に近くなる割合に応じてより真になることを我々は見てきた。そして、内的により完全になるに従って実在に近づく。このことから、思考は、かく完全なものとなれば、それ自体実在となると結論づけられるだろう。あるいは観念的な諸条件がそこに十全な形であれば、現実の完成と同じことになるだろう。しかし、そうした結論は維持しがたいだろう。というのも、単なる思考それだけでは完全とはなり得ないことがわかっているからである。それゆえそれは、内的に不整合で欠陥のあるものにとどまる。他方において、完成された思考がそれ自体を超越せざるを得ないことを見てきた。感覚と感情を伴ったひとつのものとならねばならない。そして、そうした完成の諸条件がそれ自体異質であるので、自ら完成に到達することができるとも、完成された暁には、もはや存在しなくなるとも言えないのである。