一言一話 91

 

教養と無気味なもの

 私が無意識に使う言葉の奧には、たとえそれが創作と銘打ったものであるにしろ、日本古代の歌謡や、源氏物語の息づかいや、近松の台詞や、更に実際にかいま見たことのある自分の気に入っている現存する作家の筆づかいや、更に文筆にはなんら関係のない人であったとしてもその人が自分で生きてみつけた発見を囁いてくれた言葉のリズムがひそんでいる。また同時に、シェークスピアトルストイや、親しい笑顔で私にその昔ヨーロッパからやってきた祖母から伝えられ、今のヨーロッパからは姿を消してしまったお菓子の作り方や新世界の開拓団を話して聞かせた深い皺のある老女や老人がにんまりと笑っているに違いない。組み込まれたものが集積する背後の力こそが、私の中から私であるような私でないような無気味なものを噴出させる。

教養がなければ、不気味なものも生じない。