ケネス・バーク『宗教の修辞学』 11
こうしたことと関連して、人間の経験的な定義は次のようになろう。
人間は
(1)シンボルを使用する動物である。
(2)否定的なものの発明者である。
(3)自分のつくった道具によって自然の制約から離れた。
(4)位階の精神によってせき立てられる。
この四つの定義の条項について簡単な注釈をしておいてもいいだろう。
(1)古典的な人間の定義(「理性的動物」)に関して、「理性的」という語を中立的で、より尊称的な意味合いの低い「シンボルを使用する」に換えたことに注目しよう。
(2)この章において、我々は既に、なぜ否定的なものが人間の言語的天才の特殊な印であるかついては示した。同じことを「劇学」によって端的に言うと次のようになる。行動は性格を含み、性格は選択を含む。選択の形式は然りと否との(汝すべしと汝すべからずの)区別によって完成する。単なる「運動」の概念は非倫理的だが、「行動」は倫理的なもの(人間の人格的な部分)を含む。それゆえ、倫理と十戒の否定の間には明らかで密接な関係があるのである。
(3)多くの機械的発明によって自然の状態から人間が「分離」したことは、エデンからの「失墜」の世俗的アナロジーの一種である。発明者としての人間は伝統的に工作的人間と呼ばれる。彼の発明はホモ・サピエンスとしての勇敢さによって導き出されたものであり、ホモ・サピエンスは「シンボルを使用する動物」という本性のもう一つの同義語である。
(4)「位階」によって、我々は分業とそれに対応した所有財産の財産の相違(この相違は「象徴性」、行為や契約の用語、法の否定性によって可能になる)によって生じた社会的差異および層化が可能にし、必然的なものとした社会政治的な秩序に関するモチーフのことを言っている。ここにあるのは社会的階梯、或は社会的ピラミッドというモチーフであり、人間の位置づけにおいて、「より高位な」ものが組織化を行うのだという考えが含まれている。(また、「より高位」という考えに含まれる社会的優位性が、道徳的努力や弁証法的「上昇」を示す「プラトン的」形相と一緒になって、「神」の観念へのアナロジーを与えることもできる。)第四項は、コールリッジによって使用されたラテン語の文句、「大雑把に」翻訳すると「統制の行き届いた」となるa Jove principiumのもとにある。(或はロゴロジー的に言うと、「包括的な『神-語』、名称の名称から始め、あらゆるものをすべてのものの「源」と考えられるこの要約的な語のもとで見る」)。
第四項について端的に述べると
水面を調べると
水位はいつも
下がり得る
神や悪魔が
人間を登らせるのには
限りはないのか。※
*1:
※第四項は、現在盛んに話題となっていることに関連して、修辞学的な修飾を与えている。それは、「秩序感覚に動かされる」といった具合に中性化することで保護されうるのである。
また、第一項については、多くの人間が「シンボルを使用する」は「シンボルをつくる」に換えるべきだと論じている。そうした反論に従うと私の強調部分を犠牲にせざるを得なくなるので、この項は「シンボルをつくり、使用し、誤用する動物」と換えた方がいいかもしれない。