一言一話 119

 

学問を支えるもの

 

 

明治の学者とそれ以後の学者との断絶についての柳田國男の説

 

 それは正しい、自分も君と全く同感だ、と言下に答えられたので、それではその理由は何でしょうか、と重ねて聞くと、先生はこれも直ちに答えられた——孝行という考えがなくなったからです。

 私はびっくりして、それは一たいどういうわけですか、と伺うと、先生は大よそ次のような意味のことをいわれた。

 明治初期に生れた学者は、忠義はともかく、孝行ということだけは疑わなかった。自分なども『孝経』は今でも暗誦できる。東京へ出て勉強していても、故郷に学問成就を待ちわびている父母のことは、夢にも忘れることがなかった。人間には誰しも怠け心があり、酒をのみに行きたい、女と遊びたいという気も必ずおこるのだが、そのとき眼頭にうかぶのが自分の学費をつむぎ出そうとする老いたる母の糸車で、それは現実的な、生きた「もの」である。ところが、私たち以後の人々は、儒教を知的には理解していても、もはやそれを心そのものとはしていない。学問は何のためにするのか、××博士などは恐らく、真理のため、世界文化のため、あるいは国家のためなどというだろうが、それらは要するに「もの」ではなくて、宙に浮いた観念にすぎない。観念では学的情熱を支えることができにくい。平穏無事な時勢は、それでも間に合うように見えるけれども、一たび嵐が吹きあれると、そんなハイカラな観念など吹きとばされてしまう。その上、悪いことに日本人は自分の身のまわりの物を見て、そこから考えることを怠って、やたらに本を読むくせがついた。本の中には真理が入れてあり、それを手でつかめばよいかのように。だから日本のことは、歴史のことも身のまわりのことも何も知らなくても、西洋の本に書いてあることを知っておれば、けっこう学者として通用するようになった。学者が弱々しい感じを与えるというのは当り前のことです。

むしろ孝行くらいしかないから、学問はどんどん衰退している。