ブラッドリー『仮象と実在』 218

[しかし、統一は詳細を知られることはない。最終的な不可解さ]

 

 我々は経験の多様な側面は互いに含みあい、それらを理解し、完璧なものにする統一性を指し示しているのを見てきた。そして、そうした側面の統一は未知のものであることを次に主張するだろう。それによって、それが本質的に経験であるが、我々が直接に知ることのない経験であることを否定しようとしないことは確かである。我々は決してあらゆる側面が完璧に融合した状態を持ちはしないし、そうした状態にあるのでもない。それらの特殊な本性において、説明不可能なものにとどまっていることを認めなければならない。統一と多様性の関係を理解することによって多数性を統一へと還元するような説明がある。いたるところにおいて、この種の説明は最終的には我々を超えたものとなる。もし我々がひとつあるいはそれ以上の経験の諸側面を抽象し、この既知の要素を用いて参照のための基盤とするなら、我々の失敗は明らかである。というのも、残りが実際にはそうなり得ないのに、この基盤から発展されるとするなら、それらはその差異をもって叙述され得ない。しかし、もしそうなら、最終的には、多様性全体は知られていない統一の形容に帰せられねばならないことになる。かくして、異なった側面は他のものの説明として使うことができなくなる。また、すでに見いだしたように異なった側面はそれ自体においては理解可能なものではない。というのは、それぞれがそれ自体においては不整合で、他のものと関与せざるをえないからである。それゆえ、全体そのものが理解されたときにのみ説明することは可能になるだろう。我々が見てきたような現実的で詳細にわたる理解は可能ではない。