一言一話 122

 

人間の本性と社会の複雑さ

 日常生活にはいったこれらの形而上学的諸権利は、濃い媒質にさしこんだ光線のように、自然法によって、そのまっすぐな線から屈折させられる。まったく、人間の諸情念と諸関心の大量の錯雑した群のなかでは、人間の本源的諸権利は、さまざまな屈折と反射をするので、それが本来の方向における単純さをもちつづけているかのように、それらについてかたるのは、見当ちがいになるのである。人間の本性はこみいっているし、社会のものごとは、可能なかぎり最大の複雑さをもっている。だから、権力の単純な配置や方向づけは、どんなものでも、人間の本質にも人間の関係することがらの性質にも適合しえない。あるあたらしい政治制度において、装置の単純さがめざされ、ほこられるのを、わたくしがきくとき、わたくしは、その製作者たちが、自分のしごとについてまったく無知であるか、自分の義務についてまったく怠慢であるのだと、ただちにきめてしまう。単純な政府は、いくらよくいうとしても、根本的に欠陥がある。もし、あなたが、社会をただひとつの観点からながめようとするなら、これらすべての単純な政治様式は、かぎりなく魅力的である。じっさいに、それらのおのおのは、もっと複雑なものが、そのすべての複雑な目的を達成するよりも、はるかに完全に、その単純な目的にこたえるのである。しかしながら、全体が、不完全に不規則にこたえられるほうが、若干の部分はひじょうに正確に充足されながら、他の諸部分はまったく無視されるかもしれないというよりも、あるいは、重視された部分への過多な配慮のために、実質的な害をうけるというよりも、いいのである。

中央公論社の【世界の名著】で読んだので、訳文は違っているだろう。日本はともかく、革命さえ起こらない岡っ引きの国だから、保守主義を擁護するのにバークを援用するのにさえぞっとする。