「純粋な」文学の三人の達人【『反対陳述』から】3

 

 ウォルター・ペイターについてどんな保留を行なうにしろ、美的な関心対象に向けた彼の優れた適応技術は認めねばならない。進取的な思想家ではなく、他人のアイデアを借りることを常習としており、おそらくは存在したことのない過去に関心を持ち続けた彼は、偉大な思想の革新をもたらした傑出した同時代人と比較してもより「革新者」であった。ほんの僅かも「反抗」の要素を含めることなく、彼は自分の目的にあった散文を作り上げた。それに間違いなく役立ったのは、ギリシャ・ローマ文学の幅広い読書で、それらは十九世紀の小説家たちに理解されているような意味で「真に迫った」ものであることは滅多になかった。彼はまた自分の性格の限界に愛着をもっていた。風変わりでありながら物静か、異例でありながら緊張感がない彼は、自分の生きている限られた世界以外にはなんの共感も持たないことで自分の仕事を単純化することができた。だが、同時代の個々の問題からは身を引き、オックスフォードで隠遁生活を送っていたが、そうした問題に潜む多様な観念が論じられているのを聞くことはできた。従って、彼の虚構の登場人物や舞台設定は調査によって得ているものではあるが、それらがあらわしている基本的な経験の形は、彼ほど引きこもっていない芸術家たちの作品と同じ傾向を示すものとなった。また、彼の無意識の関心は、同時代の関心とまた別の形で一致することを可能にした。黄昏、あらわれてははかなく消えて行くものに対する愛情は、彼をして移行を象徴させる人物に仕立て上げたのである。

 

 『ガストン・ド・ラトゥール』の第六章では、ペイターの方法を他に類のない正確さで辿ることができるが、それはこの章が最終的な手直しを受けることなく、その言葉の継ぎ目をうっかりあらわしていることによるのは間違いない。彼はこう始めている。

 

 「ギリシャ人がパトロクロスの死体を前にした最後の戦いで、敵につきまとう超自然的な暗闇の恐怖を見いだしたことを描くホメロスに、我々は皆、神秘的状況の悲哀を感じるものと思う。敵に対する激しい憎しみが敵の力の不確実さやそれによって起こる自分の心の混乱によって二重になることは我々の経験からいっても真実に触れるものと感じられる――しかも、日の光と沈着さが不可欠であるときに、眼を覆う夜があるのである。」同じくらい大きな別の関心事が起こりつつある。次の文章は移行をあらわしており、その後でいま引用した部分に補強された更なる観念に投げ込まれる。

 

 「『イリアッド』という古い夢の国では、こうした暗闇はなだめることが可能な神の仕業であり、いつでも身を引くことができる。現実の生においては、しばしばそれは癒しがたい。1572年の恐ろしい聖バルトロマイの虐殺の当事者などはまさしくそうであり、人間の敵は実は身内にいる。我々が行動の中心、形式的には事態に責任を持つ者たちを取り囲む身体的な狂気に近づくと、動機や影響が曖昧となり、詰るところ混乱した精神だけがあるということになる。ガストンが到着したときのお祭り騒ぎのパリで起こったこの大きな犯罪、あるいは大きな「事故」を覆う靄は、次の世代にも陰惨なものとして残り、決して晴れることはなかった。シャルル九世が自らこの世を去ったという疑い、彼自身共謀していたのではないかという疑いは、この出来事の本当の性格、その過程と範囲同様にいまだ解決されていない。」

 

 しかしながら、この段落では、ガストンは名前だけが出ているに過ぎない。続いて彼に焦点があてられる。

 

 「ガストンもまた同様である。彼に深い悔恨と憐れみを引き起こした出来事は、いわばこうしたより大きな歴史的運動によって測られ形づくられており、無情な影に覆われたその悲劇的な意味合いは、事実がいかに生じたのかを知りがたくし、彼の個々の行動やその動機の真の性格を他人の眼から覆い隠すことになる。」

 

 しかしながら、これは章の冒頭部分に過ぎず、この後に同じ主題が詳細に扱われる。シャルルがより個別的に検証され――そこもまたそっけない扱い方で、著者は決して満足していないだろう――ガストンの個人的なジレンマがそこに絡み合う。意味深いことに、この章の主題である虐殺そのものは地平線のぼんやりした煙のように、遠くから扱われる一方、パリで起こっている虐殺のことなどまったく知らずに、老年で死にゆく老婦人の姿、「光が静かな麦畑に広がり、老いた眼に映る最後の感覚が柔らかに消え去っていこうとする」姿を見ることになる。

 

 このゆったりとした進み方は、その大きな部分をペイターのスタイルの観念によっている。主題は自分の手際のよさを見せられるときにのみ価値のあるものだった。『享楽主義者マリウス』で、彼は輝くばかりの雄弁で厳格なストア派の教義を称讃するフロントの言葉を聞きとるいわば神のいない裁判所の場面をつくっている。彼らはなにかイメージと花々に彩られたうまい言い回しがあったら書きとめようと書記板をもって坐り、「彼らに準備された知的なもてなしに与る準備ができている。語り手が長い熟練し整えられた文章に勝利を得て脱したときには拍手喝采し、ときには投げキスをした。」ペイターの観客は、芸術家が自分の材料となるものの迷宮から抜けだしたときのように、批評的な価値評価と、鋭い喜びをもって見ている――迷宮から抜けだす過程をペイターは非常に愛しているので、自ら脱出すべき迷宮を作り上げているようにも見える。ペイターにとって芸術とは「抽象的な真理を伝達するものではなく・・・意識的な芸術的構造を批判的に辿ること」である。彼は文を一つの出来事だと考えている――彼が特に称賛するのは、「曖昧で複雑な観念を構成要素へと分解すること」である。彼はエッセイを書くように虚構を書いた。他の者たちは力と直接性を求めた。ペイターはむしろ、数多くの取り組み方を示すことに関心をもった。結果的に、彼は、彼自身の言葉を借りれば、学者として書き、文章のメカニズムに旺盛な関心をもち、語源との関わりを考えながら言葉を使い、「表現力豊かだとされる数多くの新語、放埒さ、ジプシー語を拒絶するよう主張」する。彼の人工的なものに対する好みは一貫していた。「我々は自分の子供たちが鳥のように囀ることを望みはしない」と彼は世紀末特有の語調で言っている。また、彼は『パイドロス』がソクラテスに真の死を与えたと言っており、というのも「そこで起こったことの細部、死に関する作品を没趣味に仕上げたことなど、我々はそこになんら文学的な発明の満足を見いだせないからである」と。「ブラウンにとって、全世界は一つの博物館であった」、あるいは、彼が「忙しない後世の者ならば省略してしまうようなたっぷりとした悠長な結論」へと息を乱すことなく進むことについて不満を述べたところなどはより理解しにくい部分で、というのも、ブラウンのそうした性質を楽しむ者だけがペイターの文章の同じ性質を容認できるからである。ブラウンのことを「あたかも自然が修辞を持っているかのように」自然の驚異について油断怠りないと語るとき、サー・トマスの方がそうした驚異をあらわにすることにかけてはペイターより遙かに優れているにしても、彼は自分自身の特徴をも述べているのである。

 

 詩人は、婦人参政権、あるいは一週四十四時間労働が必要か必要でないかについて決断を下し、あるいはアイダホで鉄道会社を始めるにはどうすればいいかについて関心をもち、そうした決断や関心に応じて書く。しかし、ペイターはそうした主題が「カテゴリーとして」貴いものであるときにのみ、主題が全人類の文化や伝統に関わるときにのみ取り上げるに違いない。彼は普遍的なものと関連を持つものにのみ関心を見いだし、哲学的な――あるいは、その最も確かなる意味における文化的な――精神をめぐらす(彼にとって普遍的なものとは、通常、地中海世界とその伝統、ヘレニズム、ゴシックの発展、人文主義などに関わる)。それゆえ、彼の英雄とは、状況が大宇宙で例証しているものを小宇宙で例証するだろう。全人類が盲目的に進む一方、彼の孤独な英雄は鋭く用心深い意識でもって進むのである。

 

 伝統に対する郷愁の最も根深い一つの帰結として、特殊な土臭さが発達することとなる。このことはごく自然に、彼を、ラレースやペナーテースのような家の守り神を発達させることのなかった同郷人たちのプロテスタンティズムから眼を背けさせることとなった。より直接的に宗教に関わっている人々は、神性を自分たちの特殊な地域性に合うまで分割し、更に細かく分ける。こうした感情を完全な形でとりもどしたイギリスで唯一の人物はワーズワースだった。ペイターは彼を非常に尊敬していた。しかしながら、ワーズワースは抽象的な場所の精神に留まった。なんらかの「精霊」、土地の神の輪郭を残すに留まった。風変わりなひねりによって、ワーズワースが土地に対する直接的な生活から成し遂げたことを、ペイターはオックスフォードでの研究で理解し実践した。だが、特徴的なのは、土地の精霊に関する彼の関心は、ワーズワースのように特殊なものではなく、イデオロギー的なものだった。その姿勢は温室栽培である。本物ではあるが、管理して育てられた。

 

 ヒューマニズムに没頭した彼は、できる限りをそれを現世に還元しようとした。この姿勢は『享楽者マリウス』の冒頭に最も見事にあらわれており、主人公は最初から威厳をもち、「甘さ」を兼ねそなえているが、私の知る限りそれは他の文学にはないものである。この作品の特殊な文学的価値とは、マリウスに始めから与えられている安定性であり、当初から実在性を持っており、それが時代もたらす込み入った葛藤によって微妙に崩れていくのである。この倫理のモザイクである作品において、彼の大きな当惑は、田園生活の落ち着きと静かさに重ね合わされることでより純粋な均衡を保つ。

 

 ペイターにおいてイデオロギーは議論のためというより美のために用いられる。彼は観念を意見を述べる際の価値として扱うのではなく、プロットの地平、状況、発展に利用されるものとして、つまり、虚構の一要素として使っている。『享楽者マリウス』に、ストア派エピクロス主義につけ加えられるような何かを探し求める読者は、何の価値も見いだすことはないだろう。というのも、そこにあらわれてくるのは、自然発生的な神々と、それに続くキリスト教という二つの道徳の相互作用からのものでしかないからである。

 

 多くの人間が現代の「あらゆる価値の再評価」に関心をもち、その微妙な適用について書いている。おそらくそれは十九世紀後半の小説家たちのお気に入りの主題であったろう。しかし新しさに輝くものを求めた多くの作家たちが、再評価の皮相な面だけを得たのに対し、ペイターは「多くの新語を拒み」、主題を遠く離れた歴史に選ぶことで、最も深い要素の幾分かを捕えることとなった。この点において、彼をニーチェと結びつけることができる。どちらも形式張った領域のなかでうまく再評価の主題を保っている。

 

 しかしながら、ペイターのプラトン研究に見られるように、永遠の変化を説き、「万物流転」の哲学者であるヘラクレイトスでさえ、永続的な変化を支配する変化することない原理を探し求めているかのように思われる。同じように、ペイターは揺れ動くものに対する偏愛から結論を導きながら、実在、不変、絶対の近くに身を置いている。しかし、形而上学者であるよりは芸術家である彼は、不変を流れを言いあらわすのに役立つものとしてのみ使い、それに満足していた。永続的なものに対する観想は、主として、はかなさの描写をより力強いものにするのに役立っていた。このように命題と反対命題との均衡が取れていれば、彼としてはそれ以上問題に深入りする必要はなかった。その主題から効果を引き出すことで満足し、自分の技術に疑いがなく、直接的な確かさが自覚できればよかった。もし彼の世紀の教説によって、自然における人間の尊厳が激しく傷つけられたとしても、そうした苦境は、ペイターにとっては芸術における人間の尊厳を主張する誘因以上のものではなかった。