フリー・インプロヴィゼーションについて私が知っている二、三の事柄 1

 

 わたくしはほとんど朝から夕方まで音楽を聴いているが、節操なく聴いているので、まったく詳しくはない、聴けば聴くほど新しいものを聴きたくなって、そもそもあまり蓄積というものがないのである。もちろん、学生の頃にはまだレコードであって、中古店を回って繰り返し聴いたものだったが、移り気は生まれつきらしく、本当に熱中した音楽家は思い当たらない。よく爆笑問題が自分の半分は佐野元春、あるいはサザンでできているというが、同じように言い切る人物はいない。

 まんべんなく聴いているとはいっても欠落だらけであって、おそらく時間量としてもっともよく聴いているのは、バッハからマーラーまでのいわゆるクラシックということになるだろうが、ドイツ・オーストリア学派が中心で、フランス印象派はさほど身にしみたことがない。続いてジャズを多く聴いたが、モンクからフリー・ジャズにすぐに移行してしまったので、パーカー、マイルス、コルトレーンといったごく常識的なジャズ・ファンにとっての名盤を聴いたのは割と最近のことに属する。しかも、4枚のCDに8枚分のレコードが入っているとか、10枚のCDに約20枚分のレコードが入っているお手軽なものを聴いているので、盤と曲名とが結びつくことがほとんどない。現代音楽はメシアンミニマル・ミュージック(特にスティーブ・ライヒ)、モートン・フェルドマンに時々シュトックハウゼン。ポップスは椎名林檎宇多田ヒカルがデビューしてしばらく熱中したが、それ以後音沙汰なし。ロックが一番縁薄く、ビートルズを一枚通して聴いたことすらない。ただプログレ少々と、学生時代からちょくちょくフランク・ザッパは聴いていて、数年前に再燃して再びCDを集め始めたが、あまりの数の多さに挫折、とはいえストリーミングでいまでも時々聴いている。ボサノバ、サルサ、レゲエ、各国の民族音楽などは瞬間的にのぼせて、すぐに冷えてしまう、なかなか身体の中心まで熱が行き渡らないたちなのである。

 

 

 さて、ジャズの話である。モンクからフリー・ジャズに移行してしまったと書いたが、ここにも実は欠落があり、フリー・ジャズそのものはオーネット・コールマンの『フリー・ジャズ』以外、ほとんど聴いていなかった。フリーに突っ込んでいったコルトレーンはもちろん、アルバート・アイラーも、フリープロパー(といっていいのかわからないが)であるフランク・ロウやマリオン・ブラウンも聴かないままに終わった。というのも、ジャズを本格的に聴き始めたのは、1990年に刊行された清水俊彦の『ジャズ・アバンギャルド』をガイドとしてCDを集め始めたことによっており、そのときすでに完全な即興としてのフリー・ジャズというものは、その役目を終えており、ポスト・フリー(スティーブ・レイシーの表現)、より構造化されたジャズが前提とされていたからである。1960年にレコーディングされたコールマンの『フリー・ジャズ』がアトランティックから圧倍されたのが1971年であり、コルトレーンの死が1967年のことで、アート・アンサンブル・オブ・シカゴが本格的に活動を始めるのが1970年頃となると、この間の転変すさまじく、ちょっと自分なりにまとめておきたい気になった。直接的な原因は、最近アンソニー・ブラクストンが面白くてたまらなくなったことにある。清水俊彦の本においても主要な人物として登場しており、当時からコンスタントに聴いてはいたのだが、ずっとスティーブ・レイシーが一番の贔屓だったのが、突如としてブラクストンがたまらなくなった。要するにファンである。

 

 

 ところで、アンソニー・ブラクストン、エヴァン・パーカーピーター・ブロッツマン、マシュー・シップ、ジョエル・レアンドルなどの音楽をなんと呼べばいいのだろうか。スティーブ・レイシーのように、ポスト・フリーといってしまっては70年代周辺に起こったこの傾向は60年代実質的には10年も続かなかったフリー・ジャズより遙かに長い50年以上の年を経ており、もちろん、時間の長さなどは出来事の大きさとは比較にならないが、チャーリー・パーカーの出現に匹敵するような大きな出来事だったのかと言われると疑問が多い。清水俊彦のように「ジャズ・アバンギャルド」というとアバンギャルドが有効に機能しえたモダニティがすでに存在しない。英語では一般的にフリー・インプロヴィゼーションという言葉が使われているようなので、それに倣うことにする。