ケネス・バーク「特殊詩学、一般言語」 3

III

 

 我々はポオのテキストをまず詩学の観点から論じた。特殊な詩学と一般的な言語の区別について論じた。次の一歩を踏みだす用意ができた。我々が自ら詩学に限定しようとしても、別の問題が生じることに注意しよう。ここで用いられている「詩学」という用語については、詩が詩人に対するごとく、詩学は批評家に対してある。しばしば文学批評は、書評によって買い手にアドバイスを与えるものだ。あるいは賞賛や非難を振りまくことによって試験に点数をつけるような場合もある。あるいは本を読むことの代替にもなり得る(あらすじや印象批評、作品を症候として扱う————心理学的あるいは社会学的分析によって頻繁に行われている————あるいは文化史一般として本を扱う場合のように)。こうした取り組み方はみなそれぞれの目的に適い、どれ一つとして追放するに足る理由はない。しかし、これらのいずれも詩学に特殊な基準には合致しない。

 

 詩学の言葉で詩に取り組むことは、ある種の詩の本性(文学的種、様式としての)にしたがって述べることだ。実際、文学の研究にそうした取り組み方をすることについてはクローチェの精力的な攻撃がある(喜劇、悲劇、叙事詩、悲喜劇、ロマンス、牧歌などを定義し、詩人がそれを侵犯することを禁ずるような特殊な原則や特質を批評家が決めること)。こうした振る舞いの使用誤用の歴史はつきることなくあろう。特に二冊にわたる注目すべき学術的著作について述べてみよう。バーナード・ワインバーグによる『イタリア・ルネサンスにおける文学批評の歴史』(シカゴ大学出版)だ。十六世紀のイタリアにおいてそうした理論化が活発に行なわれ、クローチェが美学によって伝統的な詩学にとって替えようとしたとき心に描いていたような行き過ぎの豊富な例があげられている。というのも、詩的原則や特質の多くの理論化は、詩人にそれ以上よいものを書かせないようにするかのような規則が詩人より劣った批評家によって設けられているからである。

 

 しかし私は少々異なった風に、こうした状況に置かれた批評家の役割は、こうしたねたみ混じりのやり方を避けることにあるのだと言いたい。実際、詩の法を制定する、あるいは裁判官としての立場を不法に自分のものとするよりは、批評家の役割とはまず第一に(詩学の観点から見て)、詩人の実践のうちに含まれる批評的教訓を描きだすことにあろう。

 

 たとえば、ワーズワースが『抒情詩集』(1800年)の第二版に付した序文が出版も書かれもしなかったと想像してみよう。それゆえ、彼が次のような一節を公にも、書きも、考えだにしなかったと想像してみよう。

 

私がこれらの詩で選んだ主要な対象とは、ごく普通の生から選んだ出来事や状況であり、可能な限りそれを人が実際に用いている言葉を選んで物語り、描いて、同時にそれを、ごく一般的なものが一般的でない具合に心に提示されるようにある想像力の彩りを加えた。更に、とりわけ心がけたのは、出来事や状況を興味深いものにしながらもこれ見よがしにならぬように、我々の本性の基本的な諸法則をたどるようにした。特に、興奮のうちに諸観念を結びあわせるやり方についてはそうである。

 

 

 この一節がワーズワースによってではなく、批評家によって書かれたものだと想像してみよう。問題をできるかぎり鮮明にするために、この批評家は詩だけを検証することでこの結論に至ったのだとしよう。いずれにせよ、ワーズワース自身、ここでは詩人としてではなく批評家として書いているのだということを心にとめておこう。このことは、詩学の諸問題についての批判的見解は、詩と批評双方において有効に働くこともあることを示す助けとなろう。

 

 批評家が永久に与えられた問題に適切な原則を与えるというのはもちろん真ではなかろう。事実、コールリッジの『文学評伝』では、多くの箇所で、批評家としてのワーズワースは適切に原則を述べていないが、詩人としては、自分の詩の「より多くの部分」を例証していると論じている。(特に、コールリッジはワーズワースの「人が実際に用いている言葉を選んで」という箇所を多く問題としている。そして、ワーズワースが自分の作品の批評的代弁者として「この文体を他のすべての詩にまで拡大することを主張する」ときにコールリッジは反対する。)

 

 見てきたように、ワーズワースの序文から引用した言明は、詩人が例示する実践を定式化しようとする批評家の試みである。我々はワーズワースがここで詩人として語っていると誤って考えがちだが、実際には批評家として語っている。そして、コールリッジは、最初の批評家がワーズワースのごとき詩に十分適切な定式を見いだせなかったことに反対する別の批評家なのだ————そこで第二の批評家は第一の批評家の定式を変更し、なぜそうするかを説明する。

 

 つまり、こうした強調によって、「価値判断」は排除されないことになろう。しかしながら、それは詩的実践をそれに対応する批評的指針に体系的に翻訳する問題に従属することになろう。

 

 詩人は、同じような種類の努力が自分にも要求されていると感じるため、批評家の努力に対して憤然としがちである。だが、両者の立場はまったく反対である。詩人の仕事は自分の知っていることに応じて最善の詩を書くことにある。実際には何らかの理論化がなされるかもしれない。すくなくとも、何らかの経験則はもつことになろう。しばしば自分が書きたくはない詩についてはっきりとした意見を持っている。しかし、彼はそうした考えについてなにも述べる必要はないし、それらを好きなだけ薄っぺらででたらめなものとして扱うこともできる。それらは彼らの仕事ではない。だが、それらは批評家の仕事である。そして、批評家がそうした仕事を実行するのに応じて、彼はそれ自体独自の原則をもち自立的に働く活気ある批評、および詩が「原則に支配されている」ことを示すことで詩の栄光に寄与する(批評家の定式が、詩人が自らそうした決断をしたと公言しているかどうかに関わりなく、詩人の作品に例証されているような決断に含まれる判断の様式を明らかにするかぎりにおいて)。

 

 要するに、詩人としての詩人が詩をつくる。そして、詩をつくる方法とは、原則や規則を内々に含む実践である。批評家は、詩と詩学とをつきあわせることによって、内在する諸原則を明らかにしようとする。しかし、その仕事が完成することはあるまい————他の批評家が彼とは異なった解決策を提示することもあろう。

 

 諸原則を提起する際のこうした弁解は、それがときにどれだけ無視あるいは憤慨されるとも、批評そのものと同じくらい古い。しかしこの点を強調したのは、我々の議論の次の段階、ポオが「大鴉」執筆の経過を描いたエッセイを限定付きで擁護しようとするものだ。