フリー・インプロヴィゼーションについて私が知っている二、三の事柄 2
フリー・ジャズを、それまで確立されてきた規則、伝統的でなじみのあるメロディー、ハーモニー、リズム構造からの自由を意味するのだとすると、ある程度の音楽的素養のあるものが好き勝手に演奏すればフリー・ジャズになりそうなものであるが、実際にはフリー・ジャズの創設者を、オーネット・コールマン、セシル・テイラー、アルバート・アイラーと並べてみれば、わたくしのような素人が聴いてもわかるほどその相違は明らかである。フリー・ジャズがあらわれたとき、アメリカの批評家のなかではジャズは死んだという論調が流れ、せいぜいそれがおよそ二十年にわたるモダン・ジャズの死を意味していたとするなら、コップの中の嵐でどうでもいいことであるが、より深い意味合いをもっていた可能性もある。
それはモダン・ジャズが当初から抱えていた問題であって、モダン・ジャズにレニー・トリスターノやジョージ・ラッセルといったサード・ストリームと呼ばれていた人物を加えることではっきりする。彼らは最初からソウル、あるいはファンキーといった要素とは無関係なところで演奏していた。『フリー・ジャズとフリー・インプロヴィゼーション大全』という奇特な本をだしたトッド・S・ジェンキンスはフリー・インプロヴィゼーションの始まりを、1949年のトリスターノのIntuition、Digressionという曲においている(冒頭に掲げたのは一番手に入りやすい盤で、これらの曲は入っていないが、各種ストリーミング・サービスではどこでも聞けると思う)。
さらに巨視的に見るならば、バルトーク、シェーンベルク、ウェーベルン、アルバン・ベルグといった20世紀初頭の音楽になじんだものならば、もちろん、好き嫌いはあるだろうが、フリー・ジャズであれ、現在のフリー・インプロヴィゼーションであれ、耳なじみがないという理由で拒否することはないだろう。ここでナット・ヘントフの『ジャズ・イズ』から二人のミュージシャンの談話を引用しよう。
たとえばセロニアス・モンクのようなひとは、成長して自分の音楽的概念を豊かにすることを考えているから、彼のやることは、理論から出て来るのではなくて、彼の人生経験にもとづく生きたアイデアです。それは無調になるかもしれないし、ならないかもしれない。同じように、マイルス・デイビスはヨーロッパ的テクニックを使うことが少なくなれば、黒人の民族伝説に由来する表現が鋭くなってくる。彼はジャズの形式における重要な革新家だけれど、彼の場合も、理論から出てくるわけじゃなくて、彼が聴いている、生きたものから出てくるのです。
地下では、たくさんの創造的な音楽が出ている。希望がもてる徴候だよね。・・・・・・[それらの創始者は、]通例、除け者みたいなんだ――たいがい、だれも、そういうのとは歩調が合わせられない。そういうのが地球の至るところにいるんだ。行って小路の中を見てごらん、出入口の下、炭坑の中を見てごらん――いるんだよ、影の中に潜んでいる。地球のさまざまなところにいる、かなりの数の人たちがほんとうに創造的なんだ。ぼくはそういうのとつきあい、結びつく。
つまり、フリー・ジャズの到来によってジャズの死が言われたときに本当に問題なのは、モダン・ジャズのフォーマット、テーマがあって次々にソロをとり、といった形式が壊れてしまう、という些末な問題ではなく、ジャズそのものが漠然とした音楽というものに霧散してしまうことにあった。
そして、さらに翻ってわたくしが問題にしたいのは、先にあげたブラクストンやマシュー・シップなどは周囲にジャズがある環境に育ったようだし、エヴァン・パーカーやピーター・ブロッツマンはサックス、ジョエル・レアンドルはベースというジャズに特別に結びつきが深い楽器を使っている。しかし、彼らの誰も、いわゆる伝統的なジャズのフォーマットなどとは一切無関係だし、あるいはビリー・バングやルロイ・ジェンキンズのようにヴァイオリニストもいるし、クラシックのピアニストが無数にいるようにフリー・インプロヴィゼーションのミュージシャンのなかには、ミシャ・メンゲルベルグ、シュリッペンバッハを筆頭としてピアニストもまた無数にいるのだが、彼らの誰もがジャズを感じさせるのはなぜなのかということにある。