一作目二作――山口淳太『ドロステのはてで僕ら』(2020) ステファン・ドゥームスティエ『ブレスレット 鏡の中の私』(2020)

 

 

 十年近く小劇場に通っていたので、舞台を映画にした作品はすぐにわかる。はたして、ヨーロッパ企画という劇団による映画化だった。もっとも私が足繁く通ったのは、小劇場という言葉でできる寸前のことで、状況劇場小林薫根津甚八はすでにいなかったが、『深夜食堂』で常連の不破万作はいまだ活躍していた)や究竟頂はテントで興行していたし、寺山修司の晩年だった(好きではなかったので見にはいかなかったが)。それから小劇場という言葉ができて、夢の遊民社や第三舞台が出てきたがどちらも大嫌いだった。当時の劇団は、アングラの系統を引くものと80年代のニューアカ、新人類に通底するあらわれとに分極化しており、私は断然前者に加担していた。とはいえ駒場の小さな劇場で見た青年団青山円形劇場で公演していたMODEにもいたく感心したので、反時代に徹するほどの気骨はないのである(まあ、若かったしね、反時代的になるにも一応時代を偵察しておく必要がある)。

 さて、映画一作目であるらしい『ドロステのはてで僕ら』はワン・アイデアシチュエーション・コメディなので内容についてはなにも言えない。途中何度か失望しかけた。雪だるま式に人が付け加わっていき、マルクス兄弟の『オペラは踊る』のようになるかと思ったら、なに、このシチュエーションを続けるの?そして最後、二人組があらわれたところで、なにこんなことで終わるの、と思いきや、主援女優の朝倉あきのくしゃみで、やっぱり舞台女優のヒロインたるものこうでなくっちゃいけないよね、と胸が熱くなった。

 

 ところで、『ブレスレット』も映画第一作目であるらしい。ステファン・ドゥムースティエはホン・サンスに似ている。ホン・サンスに似ているということはエリック・ロメールに似ている。冒頭の海岸のシーンを見たとき、あっ、ロメールと思ったのだが、そして、同国人の大先輩であるから、影響を受けていて当然だが、それ以降はホン・サンスに近い。法廷劇なのだが、ホン・サンスが法廷劇を撮ったら、と聞いたら容易に想像できるように、こちらも内容をいってもほとんど意味がない。映画は活劇だ、と喝破したのは山根貞男だが、ここにも活劇の精神や躍動しており、ただそれがあまりにも微細な表情や雰囲気の揺らぎなので、うっかり見逃す粗忽者もいるかもしれない。