コンクリートを引きずられて向こう側へ――S・クレイグ・ザラー『ブルータル・ジャスティス』(2018年)

 

 メル・ギブソン(渋い)とヴィンス・ヴォーン(かっこいい)の刑事二人組(バディ)が銀行強盗と戦うのがこの映画であり、確かにそれは間違いではないが、間違いではないことは往々にして間違いよりもたちが悪い。それは真実の敵が嘘ではなく、真実らしいことにあるのでも明らかである。

 

 この映画には物語の枝葉がほとんどないし、ハリウッド映画に特有の息つく暇も与えないようなアクションの連続もない。最後のスタッフロールに至るまで音楽も一切ない。刑事たちの私生活は多少あるが、多少でしかない。

 

 つまり、冒頭にあげた物語をそうしたものなしに約三時間にわたって撮り続けることを考えたときに、ようやくこの映画の実態に近づくことができる。メル・ギブソンヴィンス・ヴォーン二人の立ち居振る舞い、癖、ヴィンス・ヴォーンのきれい好き、いかにもサンドウィッチをうまそうに食べるところ、ダンディさ、つまりは二人の人間の存在のあり方こそにこの映画の本質があり、最後にある仕掛けがあるが、それもまたこの人間のあり方のしからしめるものなのである。私のごく狭い映画的教養からするなら、雰囲気が似ているのはジャン・ピエール=メルヴィルだが、メルヴィルではこんな感動を味わったことがない。