一言一話 133

 

古い文化出版局の本で私は読んでいるので、下の文章がこの本にでているかどうかはわかりません。ちなみに文化出版局本で言うと、「続1」にあたります。

 

万太郎の勘

 しかし、久保田さんの勘は実に優れていた。何かの陰に咲いているような花の美しさを発見することに掛けては特に一家の見を持っていた。

 例えば、芭蕉をそんなに有難がらずに、人の顧みない太祗のような作者の俳句に傾倒したりーー。太祗の俳句に血の近さを感じて、そこから自分の俳句の行く道を発見したのなど、勘の非常に優れた一つの証拠になるだろう。

 恐らく人並に芭蕉に傾倒していたら、久保田さんは芭蕉からは思うようにーー芥川さんのように十分に栄養は吸収出来なかったに違いない。従って今日の久保田さんの俳句はなかったろう。

 同じ時代の俳句作者で、百人が百人虚子へ虚子へと靡いて行ったのに、久保田さん一人は、今は名を言っても恐らく誰も知らない岡本松浜に近付いて行った勘。あの勘が、久保田さんの俳句をーーいや、彼のすべての芸術を生んだ源だと思う。

 堂々と正面を切った芸術は久保さんの好みに合わなかった。小さいが純粋なもの、例えば芥川さんでなら「雛」のような作品、荷風でなら「狐」のような初期の作品をいつも懐かしがっていた。

岡本松浜について調べてわからなかったことを思いだした。