一言一話 134

Rousseau & Romannticism

 

  現実と幻影

 生というのは、ここでは一なるものを与え、他では変化を与えるというものではない。<常に変化する一なるもの>を与えるのである。一なるものと変化とは分けることができない。堅固で永続性のあるものが真実だと感じられるのだとすると、常になにか別のものになってしまったり、完全に消え去ってしまうような生の側面は、心理学の学生なら誰でもわかるように、幻影の感覚と結びついてしまう。もし生のこの側面にもっぱら留意するなら、人は最後には、ルコント・ド・リールのように生を「変転する妄想の奔流」、「空虚な現象の絶え間のない旋回」と見なすことになろう。一なるものと変化とが分けられないことを認めるのは、それ故、人間が実践的に知ることのできる現実は幻影と解き難く混合していることを認めることになる。

花田清輝がよく引用していたアービング・バビット。