ケネス・バーク=マルカウ・カウリー書簡 4

 

                         989 東通

                         ウィーホーケン  N.J

                         1915年11月24日

                         [PS]

 

親愛なるマルコム

 今日君のひどい手紙を受け取った。もちろんそれは僕にとって古くからのいつに変わらぬ対比———僕に君のことを俗物と呼ばせ、君に僕のことを気取り屋と呼ばせる争いだ。感動的なまでに向こう見ずな大酒の一覧と無意味なことへの熱狂を自慢たらしく告白しているのを読んで、ウィルキンソンと過ごした火曜日の夜のことをある種憂鬱な気分で思ったのだが、そのとき僕は文学の話題に興奮するとバスビールとスタウトのハーフ・アンド・ハーフ二口分を一息に飲み干し、バター・ビスケットに邪険にかみつき、ウィルキンソンが僕に言うには、ヨーロッパの美食家のしるしであるという酢漬けにした生の魚(なんと呼ばれていたかは忘れてしまった)まで食べそうになってしまった。なんたることだ、マルコム、君たち大学の洒落ものどものつきあいのよさといったら。一杯機嫌の君たち英国風のアポロは酒についての、そしてディオニュソスについてのお粗末な解釈をするときにしかジョッキをおろさないのかい。僕は彼のことについては何も言わないことにしよう。バスビールとスタウトのハーフ・アンド・ハーフと彼は君ほど親密ではないようだった。

 フットボールのゲームで帽子をなくすなんてことは僕には考えられない。思い出せないかい、君が学校でもっとも頑健な落第生のように振る舞っていたまさにそのとき、ジム、ジョー、ファレル、ヘンリー(1)、僕、そしてその他大勢も、ハーバードが毎分点を取ろうがなんら気にしなかったことを。・・・

 僕は君が帰ってくるか尋ねていた。君から答えが来るのを待つ間、僕は自分で答えを出しておいた。君はクリスマスには帰ってこない。ちょっとの間、君のアルツィバーシェフ(2)と僕のドライサーを交換しないか。これには自分では答えないことにしておく。君に尋ねたいことがまだある。僕の詩「反乱」をどう思う?知りたくなる特別な理由があるのだ。

 僕は君が僕にかつて言ったことを考えている、君はいい批評家だ。僕はとてもシニカルだ。君は僕よりも変わりやすいと僕は信じている。教室で君がヒバリの翼で空に舞い上がるというワーズワースソネットに反論したときの不快な出来事を思い起こしてほしい。君は頑健な老人がそんな風に飛び回るという考えを好まないと不平を漏らしたのだった。その日、ノイエ(3)が君をひどく怒った。また、別のときだが、君がエリザベス・ブラウニングの詩についてしゃべるのを聞いて僕が君の顔をひっぱたいたことがあるだろう。僕はその詩をまったく読んでいなかったし、いまでも読んでいないが、感傷を攻撃する君への僕のしっぺ返しがノイエを喜ばせた。僕が言いたいのは、我々は自分のものとはできないような感傷をとかく非難しがちだということだ。・・・

 僕に対する尊重だけからでも、君は『白痴』を読むべきだ。僕が偉大な小説家たちといかに共通する部分が多いかを君に自慢するとき、僕は君が半ば無意識の独り言で「哀れな奴が本気らしいぞ、議論しても始まらないな」と言っているのを常に感じてきた。少なくとも、君が僕にそんなことを言ったら、僕はそう言ったことだろう。しかし、『白痴』で僕は証拠を得た。イッポリット・テレンティエフの性格は、まさしく、夏に君に送った手紙の僕を虚構化したものだ。その類似を君も認めるだろう・・・芸術作品としてはお話にならない。一緒くたに放り投げられている。ロシア人が構築的な小説家になったら、彼らの美点はすべて消え去ってしまうだろう・・・



 ・・・もう話したと思うが、ケナーリー(4)がウィルキンソンの小説をもっている。ウィルキンソンとドライサーの経由で、本を出すときの出版社へのつながりができたのは確かだ。ドライサーは、君も知るように、ジョン・レーン(5)と関わりがあり、メンケンの親友でもある。メンケンに会うのは不安だが、ベストを尽くすことにしよう。彼は才能においても人柄に追いてもネーサンよりはずっとよい人間だ。

 君の原稿をもっと送ってくれ。ウィルキンソンに見せたいんだ。彼は適度に好きだと言って僕に合わせてくれると思うが、そんなことは問題じゃない。現在僕には詩が絶対的に欠乏している。もちろん、僕はその時々に熱中したあれこれについてなにか書くことはできる・・・しかし、わが西洋的精神はそれらからほとんど満足を得ない。僕は感覚を巡ることより、哲学の手触りを巡って書くことを愛する。それは僕が詩人ではないことを証明しているのだろう。しかし、僕はそれを秘密にはしない。確かに僕は、何度か、僕が詩人ではないことを君に自慢したことがある・・・

                        お粗末さま

                        ケネス・デュ・ヴァ・バーク

 

(1)ジェイムズ・ライト、ジョセフ・モンテヴェルデラッセル・ファレル、ハリー・ソウルはみなピッツバーグ出身の高校時代の友人である。ライトはニューヨークで、プロヴィンスタウンプレーヤーズ[劇団]の監督になった。

(2)ミハエル・ペトロヴィッチ・アルツィバーシェフ(一八七八-一九二七)はロシアの小説家、劇作家、エッセイスト。

(3)ノイエはピーボディ高校の教師。

(4)ミッチェル・ケナーリー(1906-1938)、出版社の人間。

(5)ジョン・レーン、アメリカでも強い力のあったロンドンの出版社の人物。

(6)ジョージ・ジャン・ネーサン(1882-1958)。ネーサンはメンケン、ウィラード・ハンティントンとともに『スマート・セット』の編集を手伝った。後に、メンケンとともに『アメリカン・マーキュリー』の編集をする。






                             [ハーバード]

                             [1915年12月]

                             [NL]

親愛なるバーク

 考えがある。僕はジョージ・ワシントン・クラムに会いに行こう————記録係の。彼に君を通じて(どれだけ君が重要な役割を占めているか、この糞野郎め)ルイ・ウィルキンソンに会う機会があり、ルイが21日の午後12時ぐらいにニューヨークを出発すると言おう。ウィルキンソンは多分、僕のお気に入りの小説家であるテオドール・ドライサーとのインタビューをあつらえてくれると言おう。君はウィルキンソンと会うすてきな機会を知らせてくれる手紙を寄こしてくれるだろうし、僕はそれをクラムに見せることができよう。そして、すべてうまくいったら、僕は21日の火曜日の朝に君に会え、帰り道、フィラデルフィアまで君と旅ができるだろう。すべては僕がクリスマスにワシントンに行けるかどうかにかかっているが、僕はそれを望んでいる。

 君は僕を鞭で打とうっていうのか、悪党め。僕は常に君とニューヨークで会うことを切望していたし、いまはそれが二倍になっている。僕が愉快な哲学的議論で死にそうなのは知ってるだろう。獣になってしまいそうだ。僕がすることといったら、勉強、食事、睡眠、シャワー、教室、食事、勉強だ。イマジスト詩人やボヘミアンみたいなおもしろいことより、フリードリッヒ・ホーベンスタウヘン(1)やヒルデブランド(2)、クリュニュー派についてずっとよく知っている。また、芸術の香りあるレストランで————ゴンファーワンのではなく————食事をし、ほどよくワインを飲んで、存分に語りたいものだ。だが、君、僕は本当に語れるだろうか。勉強しすぎると機知などなくなってしまう・・・

 よければ、次の手紙で別紙にウィルキンソンの熱のこもった人相書きを同封してほしい。クリスマス前の火曜日の朝か月曜日の夜が彼に会う唯一の機会なのだ。もし行けたら、参加してクラムに自慢し、君にも会え、再び思うさま文明化することになろう。

                          希望をもって

                          マルコム

 

(1)フリードリッヒ・ホーベンスタウヘン、11世紀ドイツ(当時はスワビア)の伯爵。

(2)ヒルデブランドは聖グレゴリー7世、1271年から1276年までローマ教皇