ブラッドリー『仮象と実在』 240

[最終的には、絶対的な真理でさえ真ではなく、特異性は残る。]

 

 上述した区別を再検証するときがきた。我々はある知識は絶対であり、それとは対称的に、すべての有限な真理は条件的でしかないことを見いだした。しかし、このことをより密接に検証すると、この差違は維持しがたいように思える。というのも、物それ自体と実在とのあいだに溝が残っているなら、どうして真理は絶対的に真であり得ようか。さて実在に関する真理はいずれも、『関する』という語に多くの意味合いがある。そこには常になにかしら外部があり、述語以上のものがある。述語の外部があるゆえに、最終的に条件的と呼ばれうるのである。端的に、主語と述語の相違、本質と真理の相違は考慮されていない。(1)それは判断それ自体のなかに含まれていないなにかに依存しており、外部にある要素で、それゆえある意味で未知なものである。別の言葉で言えば、タイプと本質は決して実在に到達し得ない。実現された本質はあまりに真理であり、実現されず抽象的なものは実在であるにはあまりに貧弱なのは確かだといえる。最終的には、絶対的真理でさえ間違いに満ちたものに思える。

 

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 最終的に、可能な真理が真ではないことを認めねばならない。それは具体性を与えるということの部分的で不適切な翻訳である。この内的な矛盾は真理の正確な性格に動かせることなく属している。にもかかわらず、いまだ絶対的有限的真理との相違に境界を引くことは支持しなければならない。というのも、一言で言えば、前者は知的に修正可能ではないからである。一般的な真理として、究極的な実在に近づけることを可能にしうるような知的な変更は存在しない。そうした種類の示唆はいかなるものであっても自己破壊的で、この点についてのいかなる疑いも文字通り意味がない。絶対的真理は知性の外側を過ぎゆくものとしてのみ修正される。しかし、この過程において、もちろん、真理の確かな本性は変容し消え去る。

 

 他方、有限な真理は知的な修正に従属し続ける。それは一般性質によって限定されているだけでなく、全体のある特殊な側面のなかにあるという意味でも不完全である。その知的な世界には外部にあたるような空間があるということでも不完全である。現実的であれ可能なものであれ、それに対立し、他者としてその外部に位置することができるような真理が存在する。しかし、絶対的な真理については、知的な外部が存在しない。主語を性質づけると考え得るような、条件を呼び寄せ、その主張を制限するような争いあう述語は存在しない。絶対的知識はお望みなら条件づけられているともいえる。しかし、その条件は現実のものであれ可能なものであれ、なんらかの他の真理ではない。



*1:(1)真理の本質的な不整合は、おそらく次のように述べるのが最上だろう。それがなにを意味するかとそれがなにをあらわすかになにか相違があるとすれば、真理は明らかに実現化はされない。しかし、もしそうした相違が存在しないなら、真理は存在することをやめる。