一言一話 148

 

地獄の黙示録』と『金枝篇

 

コッポラはこの暗い映画で、豊穣祭祀、すなわち殺される神という神話的類型をまことに巧妙に利用している。そのことを明確に示唆する短い画面がある。寺院内部をウィラードの視線に沿ってカメラが移動するさいに、カーツの所有する本が一瞬大写しにされる画面である。それらの本は紛れもなく『黄金の枝』と、フレイザーの弟子だったジェッシー・L・ウェストンの『儀式からロマンスへ』(1920)にほかならないのだ。

 『儀式からロマンスへ』は、中世の聖杯伝説をキリスト教以前の自然崇拝との関連の下に、人類学的観点から再検討した画期的な研究所で、ウェストン自身が明記するように、『黄金の枝』から多大な影響をこうむっている。

世紀末といっても、デカダンスの方ではなく、フレイザー、ワイルド、イエーツを扱っているのが特徴。『地獄の黙示録』の本は気がつかなかった。本がでてくると目を皿のようにして見るんですが。