一言一話 151

 

[翻訳本を買った覚えがないので、自分で訳したような気がする。]

 

夢と死

眠ること。死ぬこと。眠りは死の双子の兄弟である。「眠りは夢によって攪拌される死であり、死は夢のない眠りである」子宮はかくして墓である。生まれることは死ぬことで、生はまことに生のなかの死である。精神分析学は、夢によってかき乱される眠り、死の擾乱としての生というオルフェウス的、あるいは東洋的ヴィジョンの再発見である。フロイトの『快楽原則の彼岸』、フェレンツィの『タラッサ」の哲学では、生そのものが一つのカタストロフ、あるいは転落、あるいはトラウマである。再生産過程の形成は生が発するトラウマを繰り返し、同時にそれを消し去ろうと努める。「性行為の子宮退行の傾向」は、全ての有機的生の普遍的目標の一側面−−生が発する無機的な状態へ回帰しようとすることである。「あらゆる生の目標は死である」この哲学では、生と生物学的進化での主要な段階(性の分化、乾燥した土地への適応)は外的な諸力によって呼び起こされたカタストロフである。これらのカタストロフが「緊張」を生み出す、そして生の(あるいは進化上の適応の)目的は、緊張を取り除こうとすることであり、それによって死ぬことである。生は無機的(それゆえに平安に満ちた)宇宙における一時的(偶然的な)擾乱である。この時、最良なのは生まれてこないことであり、続いて良いのは速やかに死ぬことである。ニルヴァーナは再生のサイクルからの解放である。

 

いま読むとそんなに感心はしない。