一言一話 152

 

仮面と人格

 アタナシウス信条の込み入ったドラマツルギーは古い物語−−神の人間への化身(あるいは再生)のドラマ−−の新たな解釈である。ここに主張されていると思われるのは、役者の役割への神秘的な変容−−人間性の神への同化、息子の父への同化(私と私の父は一つである)、そして部分の全体への神秘的変容である。しかし、もし役者が真に役割−部分への変容で、役割−部分が全体ならば、その時、仮面が現実に、ペルソナが最終的に真の自己としてパーソナリティという現代的な意味を得る。Persona est substantis ratioonalis individva「一つの人格は理性的個的な実体である」実体、ラテン語のsubstantiaは(仮面の)下を示すが、また、それ自体だけで、あるいはそれ自体において、別のものによることのないものとしてある。人格は身体の内部に、身体とともに育つ仮面であり、ドラマが内化されるときに永久的なものになる。不可視的なものになるとき、身体と分けることのできないものになる。全体である部分−役割になる。「なにかあるものが別々に存在でき、あるものができないとき、実体なのは前者である」(アリストテレス)個的なもの、役割−部分が全体である限定的な実体は、スピノザ非実在物として表したものである。

ベルイマンの『ペルソナ』論としても読むことができる。