C・S・パース「科学の論理について」 8

講義 II

               MS 95:1865年2月-3月

 

 論理学そのものを適切に考える学の論理を理解する方法にある大きな困難を成功裏に乗り越えたと思うので、あらゆる科学的推論の根底にある基本的過程を発見することに進もう。この問題は必然的に無味乾燥で抽象的である。しかし、その重要性は明らかなので、必要なだけの十分かつ基本的な理解に達するまでは多くの注意を払ってもらいたい。

 

 ハミルトンとマンセルは、科学的帰納についての考察は、論理学の領域にはないと言っている。そして、確かにその言にはそれなりの理由がある。だが、この理由を述べることは非常に困難である。それゆえ、それを指摘するような学があるべきである。これらの方はこの問題まで一緒に捨て去ってしまった。彼らが帰納からの推論をある前提の形に投げ入れ、この前提以外に論理学は存在しないと示そうとしない限りにおいてである。論理的であろうが、論理外的であろうが、この問題を解決することがこの講義の目的である。そして、私の提示する結論はアリストテレスの教義から直接に出てきた論理的解決である。

 

 アリストテレスは「帰納帰納からの三段論法は、述語である一方の極から中間項を通ってもう一方の極に至る」と言っている。これは説明を必要とする。例をあげてみよう。

 

あらゆる食肉動物は哺乳類である。

あらゆる哺乳類は脊椎動物である。

∴あらゆる食肉動物は脊椎動物である。

 

 このごく普通の還元的三段論法で、三つの類のシンボルが三つのである。[繰り返す]三つの項で、食肉動物はもっとも広がりが小さく、小名辞と呼ばれる。脊椎動物はもっとも広がりが大きく、大名辞と呼ばれる。哺乳類は広がりにおいて中間で、中名辞と呼ばれる。三段論法は、それまで結びつけられていなかった二つの項が最期の命題で総合されることに存する。付け加えておくと、結論という語は、他の二つの命題から必然として導きだされる命題を意味し、推論による命題を意味して使う推論と対比される。そして、前提は、結論が必然的に導かれるような二つの命題を意味し、そこからなにかが推論しうる命題を意味するデータと対比される。こうした区別の意味は例によって明らかなものとなろう。

 

牛と鹿は草食動物である。

牛と鹿は蹄が分かれている。

それゆえ 蹄が分かれているのは草食動物である。

 

 これは、全体の性格が部分の性格から推論されているので、帰納であることがわかろう。最初の二つの命題はデータであり、第三の命題は推論である。そして、この推論は、必然的ではないので、前提結論のようにはデータと関連していない。しかし、命題を次のように変えてみると、

 

あらゆる蹄の分かれた動物は草食動物である。

牛と鹿は蹄が分かれている。

牛と鹿は草食動物である。

 

この場合、前提から結論が導かれているのが明らかである。