レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』 2

 広範囲にわたる歴史的発達の文脈においてみると、「文化」という概念は、限定的な他のあらゆる概念に対して強い圧力を及ぼしている。それが常にこの概念の利点である。また、定義と理解双方において常に困難の源ともなっている。十八世紀までは、それはまだ過程をあらわす言葉だった。なにか、農作物、動物、精神の耕作という意味だった。「社会」と「経済」の決定的な変化はより早く、十六世紀後半から十七世紀である。その本質的な発展は、「文化」が新たに捕まえどころのない意味合いを持ち始める以前に完成していた。それは「社会」と「経済」になにが起こったのかを了解しない限り理解することができない。同様に、十八世紀が新たに必要とした近代の決定的な概念、つまり文明を調べない限り、なにも十分に理解することができないのである。

 

 人間を社会的組織のなかに組み入れる「文明化」という考えは、もちろん、既に知られていた。それはcivis とcivitasという語にあり、その目的は法を守り、教育され、礼儀正しいものとしての「市民の」という形容詞にあらわされている。既に見たように、それは「市民社会」という概念にまで積極的に拡大された。しかし、「文明」はそれ以上のことを意味した。それは歴史的に関わりのある二つの意味をあらわしている。「野蛮」に対照することのできる完成された国家は、次には、歴史的な過程と進歩を含む成長を完成した国家ともなった。これは啓蒙主義という新たに生れた歴史的合理性であり、実際、自らの洗練され秩序ある完成された状態を称賛したのである。この組み合わせが問題を生みだすこととなった。十八世紀の普遍的歴史に特徴的な発達の史観は、もちろん、意味のある進歩である。宗教的あるいは形而上学的仮定に基づいた比較的静的な(「無時間的な」)歴史概念を踏み越える決定的な一歩だった。人間はこの特殊な意味、つまり、彼ら(あるいはその一部)が「文明」を完成することで歴史をつくるのである。この過程は世俗的なものであり啓発的で、その意味で歴史的だった。しかし、同時に、ある完成された国家で頂点に達する歴史だった。実際には、イギリスとフランスの大都市文明である。この過程の諸段階と難点のすべてを調べ上げ知らせる強固な合理性は、文明が完成したということができるような事実上の行き止まりにまで達した。実際、合理的に計画することのできるのはこれら完成された価値を広げ、勝利に導くことだけである。

 

 既に古くからある宗教的、形而上学的体系やそれに関連した秩序の概念から強い攻撃を受けていたこの立場は新たな仕方で脆弱なものとなっている。現代の二つの決定的な応答は、第一には、文化の観念であり、人間の成長や発達について異なった意味を提示し、第二に、社会主義の観念であり、固定し完成された状態としての「文明」や「市民社会」に対して社会的で歴史的な批判を加え、別の道を示した。こうして形成される現代的概念の間にある、そしてそれらと他の古くから残った概念との間にある広がり、転移、重複は例外的なまでに複雑である。