レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』 4
実践においては常に二つの発達の間にある種の関係がもたれているが、その強調点は非常に異なっている。この第二の意味の始まりには、「文明」という語がもつ、ある種の完成された状態と発達の完成された状態という両義性がかかわっている。この完成された状態の特性は、そしてそれに対応する発達の作用とはどのようなものだろうか。普遍的歴史の観点からすれば、特性と作用の中心にある特徴的なものは理性である――啓蒙によって我々自身と世界について把握することで、我々は無知と迷信、そしてそれを支え利用する社会的政治的形式を克服し、より高次の社会的自然的秩序を創造することができる。この意味において、歴史とはより合理的で、それゆえより文明化したシステムを徐々に確立していく過程だった。この運動についての信頼の多くは、完成された社会秩序の感覚からと同様、新たな物理化学に体現された啓蒙主義からきている。この新たな「文明」の世俗化した意味を人間発達の一つの解釈として同じように世俗的な意味に解される「文化」と区別することは非常に難しい。どちらの語も人間の可能性を強調し、それが理解するだけでなく、人間的な社会秩序を建設することを指しているという点で近代的な観念である。この点が、宗教的あるいは形而上学的状態とみなされるものから社会的概念や社会的秩序を引きだしていたそれ以前との決定的な相違である。「人間が自分の歴史をつくる」という世俗化の過程において、これらが真の原動力と一体化するようになると、根本的な見方の相違が生まれる。
「人間が自身の歴史をつくる」ことを最も早く強調した一人がヴィーコである。『新たなる学』(1725年から)において、彼はこう主張する。
疑問の余地のない一つの真実。市民社会の世界は人間によって作り上げられたことは確かであり、それゆえその原理は人間精神の変形のうちに見いだされる。このことを反省するものは、哲学者たちが、神がそれを創造したのであるから、神だけがその秘密を知っているというのに、自然の研究に全精力を傾けているのを見て驚かずにはいられないだろう。そして、彼らは、人間が作り上げ、それゆえ人間にも知りうる希望のある国家や市民世界の研究を無視するのである。(331頁)
ここでは時代の性質に反して、「自然科学」が退けられ、「人文科学」に驚くほど新鮮な意味づけが与えられている。我々は、自分でつくり、つくっているという事実を知っているものについては知ることができる。ヴィーコが呈示する個々の解釈は今日ではほとんど関心を呼び起こさないが、同時に相互作用を行ないながら形づくられる社会と人間精神との発展のあり方の記述は、多分、「文化」という語の一般的社会的意味の事実上の起源であろう。概念そのものは、ヘルダーの『人類の歴史の哲学に関する諸観念』(1784-91)に先取りされていた。彼は人間性の歴史的な自己発展の重要さを受け入れていたが、あまりに複雑なので単純な原理による進化、特に「理性」のような抽象的なものに還元することはできないと論じた。更に、あまりに変わりやすいものなので、「ヨーロッパ文明」において最高潮に達する進歩的な単線の発展に還元することはできないとした。そうした可変性を認め、どんな文化の形成力のなかにも複雑さと可変性を認めることで、「文化」について語るよりもむしろ「諸文化」について語ることの必要性を彼は論じた。啓蒙主義の「外面的な普遍主義」に反対して「有機的」人間、国家という言葉を使って、彼がそのときに呈示した個々の解釈はロマン主義運動の要素となったが、いまではほとんど積極的な関心を引かない。しかし、特殊で個々に相違する「生の様式」を形づくる根本的な社会過程という観念は、「文化」の社会的な意味を比較すること、いまでは必然的なものとなった複数の「文化」の事実上の起源である。
「文化」という概念の複雑さは注目に値する。それは、「内的な」過程をあらわしており、「知的な生」や「諸芸術」の働きとして意味づけられる。それはまた一般的な過程でもあって、「生の全般的な様式」の構成として意味づけられる。その第一の意味においては、「諸芸術」や「人間性」の定義において重要な役割を演じてきた。第二の意味においては、「人文科学」、「社会科学」の定義で同様に重要な役割を演じたのである。両者を調停しようという多くの試みがあるにもかかわらず、それぞれが他の概念の正確な使用の可能性を否定している。現代の文化理論において、恐らくは特にマルクス主義理論においては、この複雑さが大きな難問を生みだす源となっている。出発点において、「諸芸術と知的生」の「社会」との関わりを探る理論が必要とされているのか、あるいは、特殊で異なった「生の様式」をつくりだす社会的過程についての理論が必要なのか知ることが、唯一のそして最も明らかな問題である。