レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』 8

 だが、この基本的な仮定のもと、言語の使用について更なる探求を、個別の特殊な方法で企てることができる。現実を示す方法としての言語は論理学として研究される。現実へ接近する断片としての言語、特にものを書くときの決った形式は、その形式上の「外的な」形を扱う文法として研究される。最後に、言語と現実の相違の内部において、言語は人間によって特殊な他と区別される目的のために用いられる道具と考えることができ、それは修辞学やそれに関連した詩学で研究されうる。長い学問的発達を通じ、形式的には中世の三学と結びついている言語研究の大きな三本の枝――論理学文法修辞学――は特殊化し、最終的に異なった学問分野となった。かくして、それらは実際に進歩を見せたにもかかわらず、「言語」と「現実」との基本的な相違についての考察を閉めだし、そうした考察が行なわれるようになる土壌、特にその用語を定めたのである。

 

 それは、記号に関する中世の重要な概念において顕著で、現代の言語思想に再び採用されているのが認められる。ラテン語のsignumからきた「記号」は、しるし、徴候で、本来は「言語」と「現実」の相違に基づいた概念である。「語」と「事物」との介在物という意味で、プラトン的な「形相」、「本質」、「イデア」を繰り返すものであるが、それが言語学の用語として使われるようになった。かくして、ビュリダンの「自然記号」は現実の普遍的、心的対応物で、慣習によって、物理的な音や文字といった「人工的な記号」に結びついている。これを出発点として、言語の活動性(だが、活動性としての言語ではない)に関する重要な探求が企てられ得る。例えば、中世思想の著しく思弁的な文法では、単純で経験的な「名づけ」という考えの底流にあり、複雑なものとしている文や構成法の力が記述され探求される。しかしながら、一方、三学そのものは、特に文法と修辞学は、大いに学ばれはしたが、比較的形式的になり、「古典的な」著作の財産を誇示するだけになっていた。後に「文学理論」として、十七世紀初期からは「批評」として知られることになるものは、この、影響力があり、名は高いが、限定的な様式から発展したのである。

 

 だが、「言語」と「現実」との区別に関する疑問は、結局意識されざるを得なくなり、しかも驚くようなやり方で問題にされた。デカルトは、この区別をより強化し、より厳密にし、それらの判断基準を形而上学や慣習ではなく、科学的知識に根づかせることで、古くからの回答に対する彼の懐疑主義が生みだした新たなる疑問を呈示した。デカルトに対してヴィーコが提起した判断基準は、我々は自分自身で作り上げ、なすものについてのみ完全な知識をもつことができる、というものである。ある重要な側面において、この対応は反動的である。人間は、どんな意味合いにおいても物理的世界をつくったとは言えないが、力のある新たな科学的知識の概念はアプリオリを、以前のような神のための場所を不可能にしているのである。だが、他方において、我々がそれを作り上げたがゆえに我々は社会を理解することができると主張することで、抽象的にではなくそれをつくりあげる過程において理解することができ、言語の活動はその過程の中心をなす、といった風にヴィーコは完全に新たな局面を開いたのである。