レイモンド・ウィリアムズ『マルクス主義と文学』17

3.文学

 

 「文学」を概念としてみることは比較的困難である。通常の用法では、特殊な記述以上のものではなく、そこに記述されているのは、概して、概念として働きながらそれでもなお現実的かつ実際的であると固く信じられている特殊な作品及びそれに類した作品の特殊な価値を事実上直接的に、気づかれることなく伝えるものとして高い価値を与えられている。実際、概念としての「文学」の特殊な性質は、数多くの特殊で偉大な作品の具体的な達成において、それらとは対照的に定義されている概念や実践の「抽象性」や「一般性」に対立する形で、その重要性や優先性を主張している。例えば、通常、「文学」を「微小な個」と関係づけて、「充実した、中心的な、直接的人間の経験」として定義するのが一般的である。対照的に、「社会」は本質的に一般的であり抽象的であると見られがちである。人間の生の直接的な実質というよりは、要約であり平均だというわけである。「政治学」、「社会学」、「イデオロギー」といった関連する概念も、文学の生き生きした経験と較べれば硬化した外殻として同じように位置づけられ、軽んじられる。

 

 こうしたお馴染みの概念の単純さは、理論的及び歴史的二つの方向で示すことができる。こうした概念のある一般的な形が、こうした議論に対し、その方法によって自らを守り、実践によって守ることで発達していったのは確かである。「個人」と「直接性」の本質的な抽象化が余りに進んだ結果、そうした高度に発展した思考形式では、抽象化のすべての過程が消え去っている。その諸段階を辿ることはできず、「具体的なもの」の抽象は完璧で、事実上途切れることのない円環を形づくっている。理論や歴史からの議論は、修正することのできない抽象や一般化が前面に出しているものを証明しているにすぎない。それらは、自分たちの水準を落とすだけの場合には、なんら回答を与えることもなく、軽蔑的に排除されることもあり得る。

 

 これが抽象の強力で近づきがたくもある体系で、そのなかで「文学」の概念は活発なイデオロギーとなる。「それ」がどんなものであれ、文学は言語の社会的形式的性質のなかで形式的に構成される過程であり結果であるという必要な認識さえあれば(それは文学に実際に関わっている者にとってはほとんど準備する必要もない認識であるが)、理論がそれに対抗することもできる。概念を「直接的な生の経験」と差異のない等価物に変換することで達成し、この過程とそれをとりまく状況を結果的に抑圧してしまうことは(実際、それ以上のこともあり、社会や歴史における実際の生きた経験が文学よりも個的でも直接的でもないとされる場合もある)、途方もないイデオロギー的離れ業である。特殊で、実際の構成の過程そのものが、内的で自明の進行へと結果的に消え去り、あるいは移しかえられ、書くことがまさしく「直接的な生の経験」そのものだと(いかに多くの論点が避けられるとしても)信じられることになる。『マビノギオン』から『ミドルマーチ』、あるいは『失楽園』から『序曲』といった厖大で途方もなく多様な範囲にわたる文学の歴史に訴えたとしても、この概念の多様で独立したカテゴリー、即ち、「神話」、「ロマンス」、「虚構」、「リアリズム」、「叙事詩」、「叙情詩」、「自伝」がそれぞれの場所に収まるまでは時々刻々のためらいをもたらすことだろう。別の観点から、文構成の諸過程と諸状況との最初の定義として無理なく考えられるものが、イデオロギー的概念のなかで、いまだ高らかに「充実した、中心的な、直接的人間の経験」と定義されているものの「諸形式」へと転化される。実際、かくも深く複雑に内的に特殊な発達を遂げた概念は、外から調べたり疑問視することはほとんど不可能である。もし我々がその意味合いを、部分的にあらわであり部分的には隠れている複雑な事実を理解しようとするなら、概念そのものの発達を調べてみなければならない。

 

 現代的な形での「文学」の概念は、十八世紀より早く生じたものではなく、十九世紀になるまで十分に発達しなかった。だが、その発生の条件はルネサンス以来発展し続けていた。言葉そのものはフランス語とラテン語に続き、十四世紀に英語で使用されるようになった。語源はラテン語のlitteraであり、アルファベットの文字のことである。初期の共通の綴りであるlitteratureは読むことの条件、読むことができ読んでいるということである。それは現代の「読み書き能力literacy」に近い意味を持つことがあり、「読み書き能力」は十九世紀後半に始めてできた言葉で、それはある部分、異なった意味へと向う「文学」の運動によって必要となったものだった。文学に結びつく通常の形容詞はliterateであった。「文学的literary」という語は十七世紀には読む能力と経験の意味であり、十八世紀になるまで現代の特殊な意味を持っていなかった。

 

 新たなカテゴリーである文学は、以前には修辞学文法に分類されていたものが特殊化したものだった。読むこと、また、印刷技術の発達という物質的文脈から言えば、印刷された言葉、特に書物を読むことに特殊化されている。最終的には、詩poetryやそれ以前の韻文poesyよりも一般的なカテゴリーとなったが、それらはそれまでは想像的な制作をさす一般的な語であり、十七世紀以来文学の発達が優勢になり特殊化されるに従い、韻律による制作、特に韻文で書かれ印刷されたものを指すようになった。しかし、文学は決して、詩がそうであったような積極的な構成物――制作物――であったことはなかった。書くことよりは読むことであり、異なったカテゴリーだった。特徴的な用法はベーコンに見える――「神と人間に関するあらゆる文学と学問を学ぶ」――また後のジョンソン――「その息子が最も洗練されたラテン詩の一つを献げていることから見て、おそらくは一般的な文学以上のものを有していた。」つまり、文学とは生産よりは使用と条件についてのカテゴリーだった。それは従来能動的あるいは実践的と見られてきたものの特別な特殊化であり、様々な状況によるそうした特殊化は不可避的に社会的階級との関わりにおいてなされた。単なる「読み書き能力」を越えた拡張された最初の意味においては、「上品な」あるいは「高尚な」学問を定義するものであり、特別な社会的区別に特殊化されていた。「国家」という新たな政治的概念と「俗語」の新たな価値づけが、「文学」を「古典的な」言語で読むこととする根強い見方と相互作用した。しかし、この初期段階、十八世紀に入っても、文学はまず一般的な社会的概念であり、ある種の教育的達成の(少数派による)水準をあらわしていた。そのときは潜在的でありながら、最終的に現実のものとなったのが「印刷された書物」としてのもう一つの文学の定義である。この達成においてまたそれを通じて対象物としてあらわな姿をあらわした。

 

 この発展において、文学が通常すべての印刷物を含むというのは重要である。それは「想像的な」作品に限定される必要はない。文学はいまだ第一に読む能力と読む経験であり、そこには哲学、歴史、エッセイ、詩も同様に含まれる。十八世紀の新たな小説は「文学」だったのだろうか?この疑問は、まずはその様態や内容の定義からではなく、「上品な」あるいは「高尚な」学問の標準との関わりのもと考えられた。劇は文学だったろうか?この疑問は、実質的な難点からではなく、カテゴリーの実践的な限界から何世代にもわたって考察が続けられた。もし文学が読むことなら、上演されるために書かれた様態を文学と言えるだろうか、もし言えないなら、シェイクスピアはどこに位置づけられるだろうか?(勿論、彼はいまでは読むことができる。テキストによって可能となり「文学化」された。)

 

 あるレベルにおいては、この発展において示された定義はいまだに続いている。文学はその最も早い時期の読む能力と読む経験という意味を失い、ある性質をもった印刷物という明らかに客観的なカテゴリーとなった。「文学編集」あるいは「文学附録」はそうした用法で定義されるだろう。しかし、三つの絡み合った傾向を区別することができる。第一に、文学的な性質を定義する判断基準として、「学問」から「趣味」や「感受性」へ転換が起こったこと。第二に、「創造的」あるいは「想像的」な作品に文学がますます特殊化していったこと。第三に、国家に関わる「伝統」の概念が発達し、「国民文学」という定義がより有効になったこと。こうした傾向の源はそれぞれルネサンスに認められるものだが、十八世紀及び十九世紀に最も強力となり、二十世紀には最終的に仮定条件として受け容れられるにいたった。それぞれの傾向についてより詳しく見てみよう。

 

 「学問」から「趣味」や「感受性」への転換は、要するに、教会と大学にもともとの社会的基盤をもち、古典的言語を共有していた国を超えた学者世界から、文学以外の領域にも適用される、その本質において一般的評価基準を生じさせた階級的立場によって定義されるような職業へと転換していく最終段階であった。イギリスでは、ある種の特殊なブルジョアの発達がこの転換を強めた。「洗練されたアマチュア」というのがその要素の一つであり、「感受性」とは、上流社会においては、本質的に全体的な概念であり、公的私的な振る舞いから、(ワーズワースが不満を漏らしているように)ワインや詩にまで適用できるものなのである。明白な客観的判断基準の主観的な定義であり(その明白な客観性は階級的意味の積極的な同意からきている)、同時に主観的性質の明白な客観的定義であるものとして、「趣味」と「感受性」はブルジョアのカテゴリーの特徴を有している。

 

 「批評」は同じ発達を辿った、本質的にそれらと連合した概念である。十七世紀から新しい用語として発達し(間違いを見つけだすという一般的で変わらぬ意味とつねに厄介な関係をもちながら)、「学問的な」評価基準のなかでの文学についての「注釈」から、「趣味」「感受性」「眼識」を意識的に働かせることに移っていった。それは、作品の生産よりもむしろ使用や(誇示的)消費に力点を置いた文学概念の一般的傾向における意味深い特殊な形式となった。使用や消費という慣習はいまだ比較的まとまった階級の評価基準であったが、それには特徴的な強さと弱さがあった。文学における「趣味」は他のあらゆる「趣味」と混同されうるものだが、階級のなかで、文学に対する反応は明らかに統合されており、それに関連した「読書層」(定義に特徴的な用語)の統合が重要な文学的生産の確実な基盤であった。「人間の」反応全体を捉えようとしてその特殊な形式である「感受性」に頼ろうとすることは、「感性」と「思考」(およびそれと関係した「主観」と「客観」、「無意識」と「意識」、「私的」と「公的」)を分離しようとする明らかな弱さがある。同時に、最もよい場面では、「直接的」で「生きた」実質を主張する助けとなった(「学問的な」伝統が強調したところとは対照的に)。この階級が凝集力と支配力を失ったことによってこの概念の「概念としての」弱さが明らかになった。こうしたヘゲモニーの残余が大学の新たな意識的規範となり、新たな国際間の職業として実践されるようになった批評であり、基礎となる階級的な概念を保持しながら、新たな抽象的で客観的な判断基準を確立しようとした。より重要なことは、それ自体文学という特殊化されたカテゴリー(ある性質をもった印刷物)によって定義される文学研究の自然な定義として受取られたということである。かくして、文学批評という概念の諸形式は、歴史的社会的発達という遠近法において、階級的特殊化の形を取り、一般的な社会的実践を支配し、それによって生じる諸問題に階級による制限を加えることとなった。

 

 「文学」が「創造的」あるいは「想像的」作品に特殊化される過程はより以上に複雑である。それは部分的には、新たな社会秩序、つまり資本主義ととりわけ工業資本主義による社会的抑圧と知的機械化に対抗する本質的かつ一般的な人間の「創造性」の名のもとに肯定的に受け容れられた。仕事が商品を生産する賃金労働に実際上特殊化されたこと、「存在」がこうした意味における「仕事」に限定されたこと、言語が「合理的」あるいは「情報を伝える」「メッセージ」となったこと、社会関係が組織的な経済政治的秩序のなかで働くようになったこと、こうしたすべての圧力や限定に対し、十全かつ自由な「想像力」や「創造性」の名のもと挑戦がなされた。こうした概念によって立つロマン主義の中心的な主張は、政治や自然から仕事や芸術にいたる無制限な有効性をもっていた。この時期「文学」は全く新たな響きをもつようになったが、まだその響きは特殊化されていなかった。それは後に、工業資本主義的体制の大いなる圧力に対抗して、かつては積極的かつ無制限であったものが、防衛的現状維持的になったときに始まった。「芸術」や「文学」において、本質的かつ例外的な「人間の」性質は初期の段階では「拡大」されねばならなかったが、後には「守られ」ねばならなかったのである。

 

 幾つかの概念がともに発達した。「芸術」は一般的な人間の技能から「想像力」や「感受性」によって定義される特殊な領域へと移った。同じ時期に、「美学」は一般的な知覚の意味から、特殊な「芸術」と「美」のカテゴリーへと移った。「虚構」と「神話」(十九世紀初期の新たな言葉)は、支配的な階級からは「空想」あるいは「嘘」と見られたが、別の立場からは「想像的な真実」を伝えるものとして尊重された。「ロマンス」と「ロマンチック」は新たに特殊な肯定的意味を与えられた。「文学」はこれらすべてと連動している。広い一般的な意味もまだ用いられていたが、「想像的」「美的」という顕著な性質のもと特殊な意味が次第に優位を占めるようになった。「趣味」や「感受性」は社会的条件のカテゴリーとなり始めた。新たな特殊化において、比較することのできるより高い性質は「作品そのもの」「美的対象」になった。

 

 しかし、高い性質が「想像的な」次元にあるのか(「科学的」あるいは「客観的」あるいは「日常的」現実よりも「より高い」あるいは「より深い」真実に達する。この主張は伝統的な宗教の主張に意識的に取って代わろうとするものである)、「美的な」次元にあるのか(言語やスタイルの「美しさ」)という実質上の不確実さがあった。文学の特殊化のなかで、どちらを主張する学派もあり、「真理」と「美」を、あるいは「真理」と「言語の生命力」とを融合しようとする試みも繰り返された。引き続く圧迫によって、こうした議論は積極的な主張であるばかりでなく、次第に他のあらゆる考え方に反対する否定的で比較論的なものともなっていった。「科学」と「社会」――抽象的で一般的な別の「種類の」経験の様態――に、別の種類の書き方――「論証的」あるいは「事実に関する」ものとして特殊化されるような――に反対するばかりでなく、皮肉なことに、「文学」の多くにも反対することになった――「劣悪な」文章、「俗受けする」書き方、「大衆文化」などに対してである。かくして、「あらゆる印刷物」として客観的なものとしてあらわれ、「上品さを学び」、「趣味」と「感受性」を養うという社会的階級の基礎であったカテゴリーが、いまや必然的に選別的で自己限定的な領域となった。あらゆる「虚構」が「想像的」ではないし、あらゆる「文学」が「文学」なのでもない。「批評」は、こうした特殊化し選別されるカテゴリーを正当に評価する唯一の手段であるので、いまや新たに最重要性を獲得した。それは真に「偉大な」あるいは「主要な」作品を「識別」し、「マイナーな」作品を等級づけ、「劣悪」で「無視していい」作品を排除することと同時に、「主要な」価値を実践的に実現し流通させた。ロマン主義の議論で中心的に主張された「芸術」や「創造的な想像力」は、中心的な「人間の」活動であり「規律」である「批評」を主張することになった。

 

 この発達は、第一に、「伝統」という概念の洗練化から来ている。「国民文学」という観念はルネサンス以来強く成長していった。それは文化的ナショナリズムとその実現に積極的な力をおよぼした。ルネサンス以前は「古典」と比較して弁護するのが普通だったが、自国の言語の「偉大さ」や「栄光」の感覚がもたらされた。そうしたあざやかで力強い達成が現実のものとなった。「国民文学」と「貴重な言語」とが実際に「そこに」存在した。しかし、「文学」の特殊化のなかでは、それらはいずれも再定義化され、選別的で自己限定的な「文学的価値」と同一化されうる。「国民文学」はすぐに歴史であることを止め、伝統となった。それは理論的にさえも、書かれたものすべてあるいはあらゆる種類の書かれたものではなくなった。それは「批評」が主張している「文学的価値」によって完結し、循環的に定義される選択だった。この「伝統」の定義において誰または何が含まれ、通常何が排除されるべきなのかは常に一部の議論でしかなかった。英国人でありかつものを書くことは、英国人でありかつ話すことがけっしてその言語の「偉大さ」を例証しはしないように――実際、英語をしゃべるほとんどの者はこの「偉大さ」に「無知」である、それを「裏切る」、「価値を下げる」者と言われ続けた――「英語による文学の伝統」に属することにはけっしてならなかった。この種の「批評」に明らかな選別と自己言及的定義は、しかしながら、「文学」そのもの、「文学的価値」、そして最終的には「英国人であることの本質」として投影された。限定された特殊な同意の過程が絶対的なものとして批准される。この批准に反対するものは「文学に反対している」ものとされた。

 

 この文学のカテゴリー化がいかに成功したかのしるしとしては、マルクス主義でさえもここからほとんど抜けだしていないことがある。マルクス自身がそれをほとんど試みもしなかったことは確かである。現実の文学についての、彼に特徴的な知的で博識な折に触れての議論は、マルクス主義の人間的な柔軟性を示すものとしてしばしば防御的に引用されているが、実際にはこれらの問題について彼がいかに時代の因習とカテゴリーに止まっていたかの証拠として(特に貶下的な意味にではなく)引用するべきだろう。「実践意識」による根源的な挑戦は、けっして「文学」と「美学」のカテゴリーを通じて実行されることはなく、この領域においては、ほとんどあらゆるところで中心的であり決定的なものと取られていた主張に実際に適用されるに際して常にためらいが存在していた。

 

 後のマルクス主義の伝統において、最終的にこうした適用は実行されることになったが、主に三種類の形があった。「文学」を「イデオロギー」に同化しようとする試みがあり、これは実際には一つの不適切なカテゴリーを別の不適切なカテゴリーにぶつけることにすぎなかった。「大衆文学」――「民衆の文学」――を「文学的伝統」に必要であるが無視された部分として取り入れようとする効果的で重要な試みがあった。そして、持続的に行われているが平坦ではない、「文学」とそれを産みだした社会的経済的歴史を関連づけようとする試みがあった。最後の二つの試みはそれぞれに意味深いものである。前者においては、「伝統」が真に拡大される。後者においては、広範囲にわたって歴史的社会的実践が効果的に再構築され、「文学的価値」という抽象物が、より積極的に「作品そのもの」についての新たな読み方と新たな疑問を許すより問題を含んだものへと変わる。このことは特に「マルクス主義批評」として知られているが(すでに確立されたブルジョア的実践とは根本的に異なる)、より広い社会的歴史やより広い「民衆」「言語」「国家」の概念に基づくまったく異なった根拠による別の仕事もなされている。

 

 「マルクス主義批評」や「マルクス主義的文学研究」が、一般的に言って、「文学」が受け容れられたカテゴリーであり、拡大や再評価はされても、決して根本的に疑問視されたり反対されたりしないときに、その内部において働くときに最も成功を収めているということは意味深いことである。対照的に、「イデオロギー」への同化を試み、根本的な理論的再評価であるかに思われたものは手ひどい失敗に終っており、領域全体にわたってのマルクス主義そのものの立場を根本的に妥協することになった。だが、半世紀以上たったいま、別のより意義深い傾向が生じている。ルカーチは「美学」の深みのある再評価に貢献した。フランクフルト学派は、芸術を特に強調し、「媒介」という概念を中心に「芸術的生産」の再評価を続けている。ゴルドマンは「創造的主体」を根源的に評価し直した。フォルマリストのマルクス主義的変種は、「記号」と「テキスト」という概念の新たな使い方をし、それに関連して「文学」というカテゴリーを拒否することで書くという過程を根源的に再定義化しようと企てた。こうした傾向によって示された方法や問題は後に詳細に調べられるだろう。

 

 だが、重大な理論的裂け目は、「文学」が特殊化された社会的歴史的カテゴリーであると認められたことにある。それが重要性を減じるものでないことは明らかにしておくべきである。それが歴史的であり、文化の主要な側面の鍵となる概念であるゆえに、言語の社会的発達の特殊な形式の決定的な証拠である。こうしたなか、顕著で永遠の重要性をもつ作品は、特殊な社会的文化的関係性のなかでもたらされた。しかし、今世紀起こっているのは、基本的な生産手段の変化と直接に結びついたこうした諸関係の根本的な変化である。そうした変化の最も明らかなのは言語に関する新たなテクノロジーであり、比較的一様で特殊化されていた印刷技術が大きく変わった。主要な変化は電送と、スピーチやスピーチ原稿の記録、スピーチやスピーチ原稿と複雑に関係するイメージの化学的電気的構成と転送、またそれ自体「書かれたもの」であるイメージも含めた変化である。こうした手段は印刷を排除するものではないし、その重要性を減じるものでもないが、印刷の単なる付加でも変更でもない。その複雑な関わり合いと相互関係のなかで、講演や公での発言から「内的会話」や言語による思考までにわたる社会的言語の新たな実質をもった実践がつくりだされる。それらは限定された意味をもった新たなテクノロジーを常に越えでているからである。それらは「生産手段」であり、社会的文化的諸関係が深く変化し拡大していく複雑な関係性と直接に結びついて発達する。変化は深い政治的経済的変様として至るところで認められている。特殊な社会的階級、特殊な学習のための組織、それに適した特殊な印刷のテクノロジー、それらに応じて特殊化された「文学」という概念が、現在の文明の新たな局面に対立する懐古的で、ノスタルジックな、反動的雰囲気を喚起するのも驚くべきことではない。この状況は、封建主義からブルジョア社会へと困難な葛藤の移行期において、新たな人文主義的な文学の概念に対して神的で聖なる権威、神的で聖なる学習が引きあいに出されたのと歴史的に比較しうる。

 

 それぞれの移行期で偶然だと言えるのは、社会的言語の歴史的発展である。新たな手段、新たな形式、変化を続ける実践意識の新たな定義が見いだされている。活発な「文学」の価値の多くは、それを限定し要約しようとする概念に結びついてはおらず、常に変化し続ける実践的な要素として既に実質的に働き、理論的なレベルでも再定義化されるようになり、古い形式を越えて動き続けている。