トマス・ド・クインシー『スタイル』1

【ド・クインシーはご存じ難しい英語で、正確さは保証しません。翻案程度にお考えください。】

 

     第一部

 

 英国に生まれた恩恵についてのつきることのない議論——数多くあるというより重々しくされる議論で、その数よりも重みについて語られるpondere quam numero——では三つの点が我々の国民性にはあり、それが我々の感情の均一性をかき乱している。こうした場合にも、良き国民には「恥じている」という自由はない。この悩みの性格を表現するより穏やかな言葉が見つけだされねばならない。尊敬する母に対する非難がどんなものであろうと、子としての義務は、非難が部分的にしか当てはまらないと、あるいは、痛ましくも全体的なものに見えようと、それは活気のある本性が生まれつきもつ性格の強さによる行き過ぎの一つなのだとすることにある。こうしたことは間々起こる。例えば、英国人の性質にある誠実さ、恥じらい、あるいは自負の念と切り離すことのできない遠慮深さは、哲学的には野卑さや非社会的な振る舞いにまで辿れることは確かで、ある場合には人当たりのよいヨーロッパ南の人間に腹立たしく思われ咎められるものである。ベルギーやフランスやイタリアの人間の、分別のない者を引きつける達者な媚びもまた一般的に言って、図々しさと誠意のなさが混じり合ってできたものである。原理の欠如、道徳に対する感受性の欠如が南方の風習の元々の基底を形づくっている。そして見かけ倒しの空虚な行いは後にそれほど深くその風習に染まっていない無数の人間の模倣によって広がり、元々の道徳的な性質がそうした風習によってかたどられることになるのである。

 

 それゆえ、大きな欠点というのは、私の推論によれば、過剰なまでの大きな美点から生じる。この考察は我々が敵に対する際にさえ我々を用心深くさせる。まして母国の長所という神聖な問題ならば尚更である。さもないと異国の者が我々を見たとき、英国の性格の三つのあらわれとするものについて悔しがり面目なく感じてしまうだろうが、それはあまりに公然としたものなのでヨーロッパの注意を逃れることができないものなのである。第一に、我々は半ばせん妄状態にある、時に舞台上でのようにカフタンやターバンを身にまとった貴族や貴婦人たちが——例えばバイロン卿やへスター・スタンホープス嬢——全世界に向い、王室の法として、彼らの門戸は英国の同国人を例外としてあらゆる国と言葉に開かれていると主張するのを聞くとき恥ずかしさでいたたまれない思いがする。つまり、彼らが唯一尊重すべき土地をトランペットの音と共に捨て去ろうというのである。「誰のためということなしに」馬を駆っているようなもので(ゴールヴィル氏が大胆にもチャールズ二世に言ったように)「誰のためということがないなら、閣下、閣下自身もなにものでもありません」。我々は皆このことをする<彼ら>が誰なのか知っている。調べてみれば、どれだけのうぬぼれた気取り屋がこの瞬間にもそれに倣っているか知ることが<できるだろう>。我々はそのことを公にすることに躊躇いを感じるが、そこにはユヴェナリスがローマ最悪の日に見出したものよりもひどい、永久的な風刺の種が蓄えられている。我々は静かに問うだろう、古代共和制では、こうした行為には死、裁判による死が与えられたのではなかったかと。次に、意志の誤りというよりはむしろ欠点である信仰の自由があるのに、我々は芸術の最も効果的な部分に対しての我が国の頑固なまでの鈍感さに恥ずかしさを感じる。音楽のことを語っているのだということはお分かりだろう。絵画や彫刻については、もし我々が劣っているにしろ、それは十五世紀のイタリアに対してのみであり、この劣等感は永久に続くものではあるにせよ、それを我々の周りの意地の悪い国々と分け合っているのである。このことについては、我々は安心である。そして美術のうちで最も荘厳なもの、詩については、我々はどんな国に比較しても明らかで大きな卓越性をもっている。我が国以外のどんな国も高度な詩形式、叙事詩と悲劇双方において同じ様に成功してはいない。抒情詩については言うに及ばず、瞑想的、哲学的な詩(ヤング、クーパー、ワーズワース)もあり、我々はクウィンティリアヌスがローマの風刺について正当にも述べたこと、"tota quidem nostra est"を言える。それゆえ、あらゆる表現を通じて情熱的な精神が我が国が他国よりも優れていると語るのなら、音楽に対する鈍感さの原因を一般的な感受性の欠点に仮定することは許されるものではない。しかしながら、この神々しい芸術の光輝が一般にほとんどないと疑われている我々のうちの一人が、最も洗練されたモーツァルトの音楽よりも歌を好むことを記すために慎重にエッセイを書くようなことがあるだろう。彼は恥ずかしさのうちに栄光を勝ち取り、うわべは弱さを告白しているように見えながら、率直な人間として、自然で道理に適った感情を露わにする人間として、間違った衒学者、芸術家の支配に屈従しているようでありながら、現実には自らの音楽的本能には反しており、自分が信仰するものについてほとんど或は何も感じることがない者とは対立している。だが、他の芸術との類推が彼が抱いている錯覚に気づかせてくれないとは奇妙なことである。歌、調子、節、つまりは素早く繰り返される短い音の継起が偉大な音楽的効果に発達するに十分な領域を提供することがいかにして可能だろうか。未来へ向けての予備音、離れた所での照応、ある節で問われたものが別の節で答えられるという深く音楽的な意味での問答、繰り返しが与える効果、ある時には主題を装い、ある時には発作的にそれをあらわし、またある時にはそれを陽光のただなかに激しく投げ出す油断のならない変奏。これら一万種類にも及ぼうという複雑な音楽的情念が歌や調子といった制限された領域の中で、どう見いだされ、開示され、発せられようか。猟小屋やテント小屋には森の恵みとそれに相応しい美しさがある。だが、そうした子供じみたものをパンテオンやヨークやコローニュの大会堂と比較することができようか。当意即妙の才は時に、現実に効果的である。それは組織立った陰謀をつぶすこともあり、キケロやバークの雄弁といえども、それ以上のことはできない。だがこの両者を比べるようなどんな判断があるだろうか。音楽的満足の<最高のもの>を歌に見いだす者は、その事実をもって、彼の感受性が粗雑で未発達であることをあかしている。だが、英国の一般的な音楽のレベルはまさしくこの状態なのである。多くの教区で歌われる吼えるがごとき荒々しい賛美歌はこのことを確認している。しかしながら、ロンドンには世界のどの首都よりも多くの音楽的技術が蓄えられている。これは次第に広まり、我が国の音楽を向上させるだろう。もしそれに失敗した最悪の場合でも、我々はジャン・ジャック・ルソーやその後の証拠によって知りえたこと、つまり、我々はこの神的な芸術の感受性においてイタリアやドイツには劣るが、フランス以下にまで行くことはできないことに満足を得る。しかし、ここで、人間生活にとってかくも重要で、物的知的喜びの頂点にあるものに対し鈍感さが大事にされているのを見て、我々は我が国の文明に異議を唱える第二の理由を見いだすことになる。他の点では文明の頂点にあるものが、ここでは未開で野蛮な状態にあるのである。

 

 第三の点はより大きなものである。(正確に言って)我々の異議は英国の一般的な原則、物を性質の上に、実体を外見の上に置こうとする、それ自体では高貴な原則ではあるが、性質が実体と分かち難く交じり合っている際には誤りが避けがたい、そうした原則に対するものである。