トマス・ド・クインシー『スタイル』16

 <散文>は我々みなによく知られたものである。靴屋洋服屋等々の「勘定書」は散文で書かれている。我々の悲しみや喜びの多くは散文で伝えられ、(ヴァレンタインデーでもなければ)韻文が使われることなど滅多にない。であるから、オリンピュアの揺りかご以降の歴史は誰の興味をも引くものに相違ない。次に散文を文学的に使用したのは誰だったのだろうか。注意を名士に限るとすれば、ソクラテスの家(ホラティウスの表現によればDomus Socratica)がギリシャ散文を一般的なものにしようと試みたといえる。つまり、ソクラテス自身とその関係者と二人の弟子、プラトンにクセノフォンである。我々は、この三人の偽善者のことを思うと湧き上がる強い感情に基づいた彼らに対する密かな憎しみを自覚する。我々は断固として弾劾する。ソクラテスの文学的な孫と見られてはいるが、アリストテレスはまったく異なった種類の人間である。だが我々が感傷的になつがしがる残りの者(プラトン派とでもいうのか)は唾棄すべきである。しかしながら、彼らが自らの哲学を伝えるスタイルに関しては、一つの注目すべき特徴があって見過ごしにはできない。数年前、四、五号あるクォータリー・レビューの一冊で(<神学>に関するものか、<海外>に関するものか、<ウェストミンスター>に関するものか)、散文についての真の哲学をのぞかせるに至ったコールリッジの作品について批判的な意見がのせられた。それはコールリッジ批判という意味では良識ある意見ではなかった。というのも、アフォリズム形式で自分の思想を表現している者たちのなかで、コールリッジほど真理を捉えている者はいないからである。だが、批判そのものはまったく正しい。コールリッジの「アフォリズム」について評者は、この分散的で孤立した形で思想を表現することは、結果的に、文章作成に結びつくすべての困難を回避することになると見ている。誰でも道を歩いているときにちょっとした考え、偉大な真理の走り書きのメモを書き留めておくことができる。この目的に関する限り、騒がしいロンドンといえども

"Purae sunt plateae ,nihil ut meditantibus obstet"

である。一本足で立っていようとできる。文章を作ることは思考のばらばらの糸を織機に入れたときから始まる。それらを一続きの全体に織り上げること、結びつけ、差し込み、ふくらませ、押し広げ、縫い合わせる。アフォリズムの形式はこうした面倒をすべて避けてしまう。繰り返し言えば、この意見は、スタイルと文章構成という難しい問題を覆う幕の一角をもちあげてくれる。ある形式には<ない>ものを示すことが別の形式に<ある>ものを指し示すことになる。この考えが評者の創意によるものだということを我々は疑うものではない。だが、これはあまりに重大で正当なものであるので、以前においても思索的な人間はこの問題を逃れることができなかった。同じ見解は百五十年前の『ヒュエ文集』においても見いだされる。

 

 だが、この見解とソクラテス一派との関係はどういうものだろうか。<彼らは>アフォリズムで書いたか。確かにそうではない。だが、文章の真の難しさに関して考えたとき、彼らがしたことには根本的な欠点がある。これら偉大な文学の名士たちにある一節を捧げよう。読者のなかに英国専門の学者がいるなら、まず始めにソクラテス自身はなにも書かなかったということを知らせておく必要がある。彼はあまりにも話すことに関わり過ぎたambitiosa loquela。この点では、他のいくつかの点でもそうなのだが、ソクラテスは最近のコールリッジ氏とは異なっており、氏は話すのと共に少なくとも八折り版で二十五巻の書物を書く時間をもっている。ソクラテスの弟子から我々は彼の哲学と言われるものをかき集める。そして、彼について書物を著したのは二人の弟子だけであり、その一方が言うことは他方とまったく食い違っているので、<巡回陪審裁判>といえどもソクラテス哲学の真の主要部分はなにかということについて評決をだすことは困難だろう。我々はこの問題を解こうとした陪審が最終的には国境まで運ばれ、、燃えさしのように隣国に投げ込まれてしまうのではないかと恐れる。というのも、クセノフォンによれば、彼は無邪気になんでもないことを喋る、ビールよりも透明な、立派ではあるが妻の尻に敷かれた哲学者である。一方、プラトンによれば、彼はヘルメス・トリスメギストスのように人間性から遠く離れた問題だけを扱っている。どちらかが嘘つきに違いない。哲学者の振るまいとなると、二人のボズウェル的報告者はそれほど異ならない。クセノフォンでは、老いた鶏、少々時代遅れで、「鶏の行進」でくるくる回りやかましく鳴き立てる男である。プラトンでは、彼はなにか未知の冒険的な競技に参加している低く太い声をした猟犬のようである。ワーズワースによって描かれた、リジ山の清浄な高みを歩き回る猟犬のようで、その声はあるときには広大な森に吸い込まれてしまい、アルプスの風に乗ったときには大きく響き渡って、その切れ切れの声が彼の旅する行程を示している。プラトンでは、人間の置かれている状況と起源、より古いオルフェウス教の哲学からきた断片的な音楽という神秘からくる暗い輝きといったものがあり、それが学派の長に漠然とした荘厳さを印象づけているので、<彼の>運動をこの高い清浄な地域に辿ることはできないだろうけれども。従って、ソクラテスの対話に一言の真理でも存在すると信じることができたら幸運だろう。だが、クセノフォンの哲学的vappaを思い起こすとオイディプスの解読力をもってしてもそのことは不可能に思える。

 

 さて、ソクラテスについての二人の福音書記者には明らかな不一致があるのだが、二人はソクラテスから哲学のすべての材料を得、その井戸から水をくみ、薬をもらい、その言葉をより価値あるものとしようとしているのだが、その文章においてどちらも同じ間違った形式を頑なにとっている。双方とも対話形式でばらばらな考えを明らかにしている。常にソクラテスとクリトン、ソクラテスパイドン、あるいはソクラテスとイシュマコス等がいる。実際ソクラテスと架空の議論の相手は陽気なボーリングのピンのように当然のように倒されるのである。読者はクリトンに代わって棍棒をもちたいと指がむずむずすることは避けがたい。もし<我々が>会話に加わるとすれば、我々は哲学者が自分だけで話を進めるべきではないことについて答えることができる。少なくとも我々の間には「一言」あってしかるべきだろう。そして、「一ポンドのバターの一撃で」クリトンが罰せられるのを待っている代わりに、リングをつくり、戦いの推移に合わせて「どっちも負けるな」となるべきだろう。もし対話形式でなければならないなら、少なくともそれは馴れ合いであるべきではないだろう。ところが、論争の相手たるべき訓練を受けたクリトンやその他の者にとっては、哲学者の、ソクラテス一派οι αμφι του Σωκρατηυの脇腹にでも食いつこうなら犬小屋に蹴り込まれてしまうのは周知の事実だった。生涯を通じてソクラテスとその追従的な敵対者によって戦われたのは常に「八百長試合」だった。