トマス・ド・クインシー『スタイル』20

 さて、スタイルについての訓練の機械的な体系が、これら間違った書道と同じような平準化する結果しかもたらさないなら、以前からの無知のままでいた方がずっといいことになろう。どうしようもない単調さに終わってしまうなら、昔の無頓着な簡潔さの方が歓迎すべきものである。そう読者は言うだろう。だが我々が言うのもそのことである。それは<我々に>関わることではない。<我々が>語っている機械的な体系はスタイルの価値ある性質に適用されるのではなく、その欠点、とりわけ不便なところに適用される。実際にはスタイルの<摩擦>となるようなところ、不必要な揺れや滑らかな動きを妨害するようなものについてである。その由来、刺激、速度、特徴のある多様性が明確な運動そのものについては手つかずのままに残しておくことになろう。人間の感情は尽くしがたい。感情が思考と結びつく諸形式は自然で捨てることのできないものである。それらが言語となる経路は無限である。それらはみな人間の技芸によってはかき乱されないものである。それは機械的な体系では及ばない。それはなにかの蒸気機関が──アトラスやサムソン(ドイツ人がシンプソンと呼ぶ)を仮定してもいいが──不実にも自らを地軸にくくりつけ、我々をジュピターのところまで連れて行きはしないかと恐れるようなものである。シンプソンが最悪のことをするなら、我々は反抗する。それはスタイルについても同様である。スタイルの自由な運動は自由なままであることに我々の関心はある。それを支配しようとする芸術があればスタイルは公然と反抗しよう。この意味において、我々は望ましい形にスタイルを機械化<できる>。それ故、我々の最終的な対象は悪との混合物ではなく、賞賛に値するものである。このことが説明され、我々の進路が明らかにされたのだから、最初にこれから辿るべき我々の道筋とともにこれまでのことを要約しておこう。

 

 1.我々がギリシャ・ラテン文学に触れたのは、それらがスタイルという主題に関してもつ観念を評価し、演繹するためにだけである。それらの観念が不十分であることは明らかになっただろう。よくいってもそれは試案である。2.しかしながら、そこから滞っている真の問題についてのヒント、おぼろげな示唆がでたと言える。一般的に言って、それが真の答えへの王道なのである。ローマのことわざに言うようにDimidium facti qui bene coepit habet、つまり、始めが良ければその仕事の半分はそれですんでいる、というわけである。現代の賢者が言うPrudens interrogatioつまり、巧みに問うことは、この意味では答えに対しての良い始まりなのである。3.答えに向けてのこの基礎づくりをしてから答えそのものを出すよう試みる。4.その後、つまり、スタイル、修辞、文章構成の主題を取り囲む問題を解決し、<より高度な理解>という困難な目的に全力を尽くし、(もし我々が大きく惑わされることがないなら)スタイルの正しい理論、スタイルの実際的な訓練にある大きな障害を除いた後は、我々が描いた概略に従ったより適切な規模の作品が書かれるのを待つことになる。我々自身は即席の示唆──実際的、一般的、広く理解される──にとどまり、より専門的な作家に関する議論や、読者の役割についてつっこんだ理解をしようとするつもりはない。それ以上のことは、雑多なものからなり、分量も決められた雑誌より、特に決められたことがなく融通のきく一冊の本のほうが向いているだろう。

 

 それでは、とりあえず目的であるギリシャ文学に立ち返り、読者の目をこの文学の歴史の、そしてその後の人類の歴史にとっても注目すべき現象に向けたい。多数の者がそれに気づいたはずだから注目すべきなのではなく、それを考えた人間の才能のために注目すべきものなのである。この現象が真っ向から強い注目を受けた最も早い時期のものには、キリスト教発祥のときにローマ帝国の将校が書いた歴史的スケッチである。我々が言っているのは、ティベリウス亭のとき、キリストが磔にされたちょうどその年ヴェレイウス・パテルクスにより書かれ出版された『ヒストリア・ロマーナ』で、それは一般的歴史の興味深い概便の得られる入門書である。スタイルは時にぎこちなく、不格好ではあるが、力強く男性的で兵士にふさわしい。質の高さ、思慮深さ、素晴らしい観察力で標準的な兵士のものなどは遙かに超えている。そして、この本が示しているのは、それはこの時代のローマ社会の多くの場で見ることができるものであるが、最近世界を震撼させた大きな戦いがこの影響を及ぼし、それがフランス革命につながっていったところのもの、つまり、人間の瞑想的な能力への広範囲に渡る刺激である。その時代の動揺、狂乱、悲しみが人間知性に反動をもたらし、人に瞑想を強いた。自らの本性が目の前にのっぴきならない形であらわれた。社会が平穏であるときよりも、人間の理想というのをより巨大な問題として考えざるを得なかった。そして、彼らはしばしば、そうしようと思っていたかどうかはともかく、社会哲学の基本的な問題に取り組んだのである。危険があると人はそうでなければ習慣にはない考えるということを強いられる。行動の必要が決定を強いる。こうした変化は宗教改革のときにもあり、フランス革命のときにもあった。より早い時期二人の皇帝によって大改革がなされたローマ社会にも起こった。パテルクスの本のどのページにも我々が読むのは大洪水がもたらした大波や動乱である。小冊子ではあるが革命時の生でふくれあがっている。そして、疑いなくローマ革命の力強い指導者の模範、知的文学的趣味は彼、

「世界の先頭に立つ男」

によって広められ、軍指導者の警棒と修辞家のみごとな<尖筆>とを結びつける可能性を最初に示したのである。野営地で育ち、せわしない行進に従い、前哨地の欠乏のもとにいたパテルクスのような人が、綿密な知性と結びついたかくも正確な知識、包括的な読書と研究を成し遂げたとは素晴らしく、喜ばしいことではないか。三人の皇帝が文学に父親のように振る舞うことによって、髪の毛伸び放題の百卒長という古い種族はいかに変化し、完全に再生を迎えただろうか。