トマス・ド・クインシー『スタイル』23

 さて、これらのことをギリシャ文学に当てはめてみると、この知的領域では二つの発達段階しかなかったと観察できる。多分、こうしたことに通じていない読者(通じていない読者と通じている読者を同等にもつことが影響力ある雑誌の誇りであり栄誉であろうから)は、ギリシャ文学の変転とその二つの時期の関係を数語で述べれば感謝してくれようし、それを容易に忘れることもなかろう。

 

 ローマの副官(注1)が示すところによれば、ギリシャの理知には二つのグループ、集団があり、その才能には二つの傾向、層がある。そしてそれらはほぼ一世紀離れている。特に記憶に値するのは、この素晴らしい集合体のそれぞれが別々に中心軸となる人間の周りに集まっていることであって、この人物は文学に関係するとは言えないが、時代の主導的な精神だった。我々の目的にとっては──この目的がなくとも読者には興味深いことだと思えるが──二つの集団それぞれに認められていた性格やしるしを確認することが重要である。しるしとは人間に関するものであり時系列に関するものである。人について言えば、それぞれの集団の核になっていたのはたまたまその時代のもっとも高名な輝かしい人物だった。それは誰か。一人はペリクレスで、もう一人はマケドニアアレキサンダーである。ペリクレスの一代前(三十年前)(注2)のテミストクレスを除いては、ギリシャ年代記で彼ら以上に評判の高い真の美点を認められている人は、公人、政治家、総司令官、国家資源の管理者にはいない。ペイシストラトスは気取りがありすぎた。(年代的にいって)ペリクレスの息子程であるアルキビアデスは不安定で、(コールリッジ氏の造語を用いれば)「当てにならない」、あるいはより正確な英語によれば「頼りにならない」。

 

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*1:(注1)「ローマの副官」──読者にはこの現代的な語句を許してもらいたい。だが、これ以外の言葉でチベリウスとの関係、パテルクスがドイツの前線で担っていた軍の役割を表現することが可能だろうか。第二巻百四章で彼は言う。Hoc tempus me,functum ante tribunatu castrorum Tib.Coesaris militem fecit.訳せば、「この時期、宿営地の最高司令官の義務を解かれた私は皇帝の幕僚となった。」それに続けて言う、いまの皇帝が養子となり継承が予定されたときに騎兵准将(aloe proefectus)となり、二つの期間は重なり、per annos continuos IX praefectus aut legatus, spectator,et pro captu mediocritatis meae adjutor,fui.「それから九年間の間皇帝の軍事的補佐役、あるいは代理秘書として行動した」(これがproefectus、完全な形で言うとproefectus proetorioと同じことを意味する)、「同時に公的事業の視察官であり」(北東ドイツ前線で橋や城塞をつくるときの)、「そして(私の非才の許す限り)皇帝の個人的副官だった。」多分読者はadjutorにはもっと緩やかな、専門的な意味をもたない語を当てた方がいいと思われるだろう。だが、弁解として二つのことを上げなければならない。第一、パテルクスがこの言葉を技術的意味をもった軍事的用語として用いているのは確かである。第二、このadjutorという語は、軍事面ではない使い方、例えば舞台で使う場合でも、技術的意味<以外は>、もたないのである。

*2:(注2)現在より平均寿命がずっと短い当時では、これは一世代としては長すぎる。 だが、きわめて便利な割り当てとして(331/3の三倍がちょうど一世紀だから)、市民経済に直接関係する専門的な問題を除けば使用が許されるだろう。まだどんな論文の一頁も一節も読んだことのない<少年少女のために>、そして彼らの目を引いたこの機会に彼らが二分の間にギリシャ文学についての後に残る理解を得ることができるように(そして無知な人一般のために、というのも彼らの関心というのは神聖なものだから)、<世代>ということで意味されることについて簡単な説明を加えよう。それは、三十三年と四ヶ月という短い期間で街の全人口、民衆が死に絶えるということが意味され、想像されているのだろうか。決してそうではない。人間の生命の価値をかくも低く見積もるということではない。意味されているのは、全人口と<同じ数>の人間がその間に死ぬということである。実際にそのときにいる人口xが死ぬのではなく、その期間にxだけの人間が死ぬということである。パリの人口を九十万としよう。すると、一世代の間に九十万人が死ぬだろう。だが、この数になるには、いま存在している人間だけではなく、三十三年の間に<生まれるであろう>三十万人が付け加わる。かくして、死のくじを引くのは一見三人のうち二人であるように見える。くじを引くのx人ではなく、x+y人である。yというのは一世代の間に増えた人間の量である。この説明が政治学を学んでいる者にはほとんど子供だましであるのは明らかだが、文学の最初期の革命を興味をもって学んでいる千人に十人も、概略的にでさえ、世代が意味するところを知らないのも明らかなのである。数限りない間違いや曖昧さがあるが、多くの者は<時代>と<世代>とを同義語として使用している。だが、フランスでは世紀は<常に>世紀を意味するのである。