幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈15

霧に舟牽く人はちんばか  野水

 

 ちんばは跛脚である。古解に、「石混じりの場所に落葉して、霧雨に濡れたところを滑りながら行く人を見て、ちんばひくかと笑うさまだ」というのはよくない。これはただ、柳葉が力なく落ちる秋の岸で、霧のなかに舟を牽く人の姿を見て、ちんばのように見えるという景色をいっただけの句である。足場が悪いとか、滑っているのを笑うといっているのは、舟を牽く人の様子をよく知らないで、この句の真を伝え、妙をなすところをわかっていないことからくる勝手ないいようである。人が陸の上にいて、舟を牽いて流れをさかのぼると、水の上の舟は岸に触れて前に進まなくなる。であるから、舟を牽く場合、舵を操って舟を牽く人の反対の方に進むようにしておく。そうすれば結合力の法則により、舟は岸にも触れず、川中にもでず、陸に沿ってまっすぐに進む。それゆえ、引き縄が短いと力がうまく相殺しないので、なるべく長くするのが習慣で、それゆえ中国ではこの縄のことを百丈と呼んでいる。そうであれば、舟を牽く者は長い綱の先を輪にして片方の肩にかけ、流れの力と舵の水を切る力との抵抗を受けながら進むので、身体がねじれたようにしていく、そのさまを舟から見ると、距離はあるし、牽く者は身を屈み曲がっているので、跛脚の人にも思えるのである。それを巧みに言いあらわしたのがこの句で、霧の一字に距離の程度も景色も見え、ちんばかの言葉に活動のさまも姿形も見える。それを霧に滑るなどというのは残念な理解で、行き届いた解釈ではない。前句の水のほとりの柳、この句の霧に行く舟、付け味は言わなくても明らかである。