幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈17

となりさかしき町に下り居る  重五

 

 「となりさかしき」を嶮しとしたのは曲齋であり、心得顔して卑しく騒いでいたというのは鶯笠である。高野、吉野などの奥の院へ願があって通う人が、その下の町にいて高山の寂寞とした夕暮れを見ている様子といい、「隣嶮しき坊に宿仮り」とつくるべきを「町に下り居る」としたのは、次の句に下での生活を付けさそうとしたのだというのも、一応は納得できる。悪賢い者ばかりが住む町の籬を隔てて宮仕えする者が下居して住む、というのも一とおりは通じる。どちらの説も間違いとはいえない。けれども、そのどちらが句をつくった者の本意なのかと考えると、高山の寂寞とした夕暮れとするのは、前句との関わりも適切には思えるが、町という言葉がふさわしくないし、次の下居の住いを付けるとするにはそうした断わりを入れなければそぐわないし、勾配のある地に家並みがあることは山ではあることだが、それを隣嶮しきということも言葉柄がそぐわないように思われる。隣黠しき*町であれば、町という語もよく利いて、あたりには似ぬ上品な人が居ることが描きだされ、﨟たげなる様子で口数も少ない人の誰に話しかけるでもなく、黄昏時、ひとり静かに三日四日の細い月を眺める風情も垣間見えれば、黠しきとするのが作者の本意であろうか。下居とは、宮仕え、奉公した者が止めて宿に下ることをいい、また完全に止めるわけでなく、三四日の休暇を取って家に帰った者をも言う。位を譲られた帝もおり居の帝と言うが、それはここでは関係ない。「下り居る」というところに、月を見て今宵はもう三日だなどと日を数える心も少しは籠もっているのだろう。付け方は極めて軽いものである。

 

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*1:*悪賢い、軽騒な