トマス・ド・クインシー『スタイル』32

 まず、このことは不可能だと思われる。だが、現実には、より大きな関心事が学者たちには生じていた。より大きなというのは、より限定しがたいものだからであり、より限定しがたいというのはより精神的なことだからである。それはこういうことだった。西洋の、ラテン教会はゆっくりと地上的な力を得ていった。西洋世界の偉大な建築物として立ちそびえた。とりわけ、十一世紀に深く基盤がつくられた。その仕事は完璧なものだったが、必要不可欠である俗権力は未完成で弱く、もろく永続しないものであったので革命の必要があった。教会が権威によって支配してきた、している、そしてしようと望んでいたのは主に霊的なことである。そして制度を育て、将来に起こるであろう抵抗まで織り込んだ組織づくりをするには、この霊的影響は学ぶのに難しく、否定し去るにも困難な精妙な哲学の上に築かれるのが重要なことだった。すでに確立されていた多くの教義、絶対確実性の支柱が必要な伝統は更に十分な発展を遂げねばならなかった。思い起こさねばならないが、ラテン教会はいまだ教皇ローマの教会ではなく、その教義の成熟と主張によって後にそうなったのである。この教会の保護が初期キリスト教がその基盤を形づくるのにいかに広く働いていたか、またアルビ派などの間で対立の噂がささやかれ始めたときなどに教会が信心深い信徒たちにもたらした光のことを思うと、我々は虚心坦懐に、これほど離れているものはないと思われていた形而上学と神性を結びつけ、迷宮に潜む真理を追究し、天まで届く建築物を打ち立てたカトリック教会の偉大な霊的砦よりも深い説得力を持つ哲学は存在しなかったと見ざるをえないのである。

 

 ここで、我々の考えを脇道にそれない程度に辿り直してみよう。