トマス・ド・クインシー『スタイル』33

 第一に、ペリクレスギリシャに働いた影響をより生き生きと例示するために同じような原因が働き、似たような状況にある別の事例を持ち出した。1.知性が革命的な刺激のもとにあること。2.本が欠乏していること。3.女性的な愛がないために生じる冷え冷えとした憂鬱。この重苦しい<アンニュイ>は、エルヴェシウスが考えるところによると、人間の知性を最も強く刺激する。4.(それぞれその対象は異なっているが)時代の大きな運動に無関心でいることなく熱狂しよく考えたこと。一方は自らの素晴らしい郷土とその文明の栄光に対し、他方は霊的真理と霊的力に対してであった。

 

 次に我々が述べたのは、こうした影響のもとに居続けるものは必然的に<外からの>助けをほとんど借りることのない知的探求に従事することになり、それは哲学的に言えば「主観的」ということで、自分自身から多くを引き出し、(なんであれ)外的対象からはほとんど引き出すことはないということである。

 

 そして、第三に、こうした探求はスタイルが開拓されることに特別に好都合だということである。実際そうならざるを得ない。外的な対象を巡る研究、生理学や解剖学や天文学などで厳然たる事実を伝えようとする者はスタイルのことなど配慮しない。あるいは少なくともそれが可能である。というのも彼の言うことはスタイルからは独立しており、伝えるにあたっての優雅さは認められていないし、必要とされてもいないためである。事柄がその言い方を越え、圧倒している。事柄はどんな言い方だろうが語れる。だが、キケロが<無限定の問題quoestio infinita>と呼んだ曖昧な問題を扱う者は、すべてが自身の特殊な感情や自身の物の見方からできあがるので(外からの限定的な<データ>が主要な題材となっては<無限定の問題>に矛盾することになる)、その取り扱いが事柄を越えるばかりでなく、しばしば、非常に大きな割合において事柄そのもので<ある>ことを見いだすのである。精神が主観的ということで習得するのは、例えば主観的と形容されるような詩(非常に客観的なホメロス風な詩に対立する瞑想的な詩のこと)での作者の問題は自己の内的精神を外に出すことである。分析されていない複雑に絡みあった感情を意識に明らかなものとすることで、端的に言えば、自分自身にさえ曖昧で互いに絡みあっていた混乱した観念をプリズムを通すことによって異なる要素に析出することである。さて、こうした場合、束の間のものを引きとどめ意識的に据える技術、内的なものを外部に投影すること、流動的なものに輪郭を与えること、曖昧なものを具体化すること、これらすべてのことは一に観念を具体化する唯一の手段である言葉の熟達にかかっている。そして、こうした場合、スタイル、あるいはより大きな意味で言う<手法>は事柄と合流する。これらのことは、精妙さ、あるいは彼らが考えるところの「形而上学的」区別を無視したがる者といえど容認するに違いない。即ち、外的な事実、触れることのできる現実、詳細な細部──端的に言えば、語りの場合であれ議論の場合であれ<客観的なもの>一般──を重視する者は、その文章の中身や事柄を自らの理解や自らの固有の感情から引き出そうとする者よりはスタイルに依存することが少ないに違いない。一つの例がこのことを明らかにするだろう。古くから言われていることであり、実際これまでずっと経験されてきたことだが、法律家は下院での演説家としては失敗する。現代の最も偉大な弁護士であるアースキンでさえ、政治家としては特筆するに値しない。彼より二世代前の「能弁マレー」もその能弁を発揮できたのは裁判のときである。だがなぜか。ある公的な仕事で活用される能弁が別の場所では突如として失敗し混乱してしまうことなどどうして可能なのだろうか。その理由はキケロの<限定された問題>と<非限定的な問題>との区別に簡潔に表現されている。法廷で、語り手に求められているのは簡潔な事実の概要、宣誓のもとでの曖昧さのない言明、仮定される状況、つまり、すべてその精神の外部にあることについてである。時に弁護士があえて<独力で>proprio marte海に出ようとすることがあるのは確かである。例えば<姦通>事件のとき、自分の蘊蓄から家庭の幸福についての所見を述べようとすることがあるかもしれない。だが彼は事実について確かな知識があるときに大胆になるので、沈没する危険がある場合には常に速やかに撤退する。僅かでも成功すれば十分である。そうでないなら、聴衆に退屈のしるしが見えたら、あるいは自分自身に躊躇いが生じたら、彼はすぐに切り上げ、<確固たる地>terra firmaに戻り、そこで能弁を取り戻す。それ以外にも、法律の場合、話題の移り変わりと一般的主題の配分が同時に行われる。論理と方法とが同時に働く。単なる時系列がそのまま話題のつながりや配列を語ることになることがしばしばである。他方、下院の弁論の場合、事実の言明や入念な計算が行われることも時にはあるが、それはせいぜい政治議論のための題目以上のものではなく、頭にあることの例や証拠として副次的に扱われるに過ぎない。演説の主要部分は常に国家の政治についての一般的事柄でなければならない。キケロの言葉で言えば、こうしたことは常に<非限定的>である。つまり、<外から>限定されるものではなく、自ら理解していることから形づくられ引き出される。事実はここでは従属的で補佐的である。陪審の前では事実こそがすべてである。裁判での弁論はその信念に従って事実を正確に取り上げ、聴衆の前に順序通りに、(もし証言を扱うなら)言葉通りに並べるという義務で満足する。議会の弁論では事実を開陳することなどまったくなく、予め表明した政策や意見に従って、最もらしく好都合な事実を自身で創作することもできる。一方は常に岸沿いに歩き、他方は常に海に出ている。従って、両者の不安の程度をはかるのは彼らのこうした自問である。つまり、「次になにを言えばいいのか」ということである。この不安は毎日のパンにも事欠く貧しい男を動転させるのと同じ不安である。「いまはなんとかなったが、後はどうなるだろう」と。裁判の弁論では簡単に逃げ道が見つかる。事件の要点は番号が付けられている。七番についてこれ以上言うことがないなら、それを終え、八番に移ればいいだけである。議会や文学的会合の審議での弁者も常にこうした状況にあり、七番目の話題にあるとき三つの窮地のどれかに立たされる。一つには、八番目の話題がまったく見つけられない。第二に、八番目の話題になにを選ぶか混乱する。次にある考えが多く、どこに進んでいいのかわからない。第三に、適切で予定されている八番目があるのだが、即座にはどう新しい話題に移ればいいのかその道筋を発見することができない。必要な素早さである調から別の調へ変えることができない。不安が増し、混乱にとらわれ、中絶してしまう。