幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈26

しら/\と砕けし人の骨か何  杜國

 

 しら/\は白々である。骨か何かがあると疑って、前句の冬枯れ分けてひとり唐苣の立ったあたりに、何かわからぬが白いものが砕け散っているのを遠くから眺めただけで、別に深い意味があるわけではない。砕けた貝殻、細かな木片などが白々と畑の土混じりに見えることはよくあることである。それを巧みに汲みとって、砕けしといい、白々といい、骨か何といって、冬枯れの凄まじきありさまを見せたのが面白いと評すべきだろう。あるいはまた、冬枯れのもの凄まじいときには、なにを見ても、疑い惑うような寂しさがあって、後ろをつい振り向いてしまうようなときがあることをいったのが面白いと評すべきか。いずれにしても、前句との関わり、粘り着いてもおらずかけ離れてもおらずいい。