トマス・ド・クインシー『スタイル』39

 貧しいギリシャ人は夜なにか思いついたときに最良の覚え書き帳として白い漆喰塗りの壁を好都合なものとして使用した。真鍮あるいは大理石だけが考えを永続的に保存できるものだった。アテネの劇場で役者の台詞はなにに書かれたのか、テキストの入念な校訂はどう実行されたかについては我々の推測を越えている。

 

 偉大な詩人や散文作家にとっては妨げになるこの酷い状況で、自然に生じてくる帰結はなんだろうか。王の寵臣やアリストテレスのような友人は高価な材料を要求することができた。例えば、1800年からいままでの間のパリの大きな出版社の広告を振り返ってみると、それは非常に贅沢なもので、一部千フランから千ギニーまでかかっており、大英帝国のお金があり進取的な出版社が四十年かけて使うお金を十五年もかけずに使うのである。これはどう説明がつくだろうか。フランスの紳士階級の収入では支援することができるが、読書階級の多くを占める英国の貴族の資力ではそれが無理だというのだろうか。そうではない。パリの贅沢な仕事を支援しているのは自国のものではなく外国人なのである。主に皇帝や王、大きな国立図書館、豊かな大学、ロシア、ハンガリー大英帝国の大公、そして豪華な城やホテルに住む者で、彼らはその場所に合った家具、家具に合った本を必要とする。なぜなら、彼らにとって本は必要な備品であり、良い趣味の原則に従い、その周囲すべてを豪華なものにしなければならないからである。そして、アレキサンダーの時代には、既に王族やそれを模倣する者たちの間に魅力的な作品の高価な刊行を助ける買い手が十分にいた。アリストテレスは特権的な人間だった。だが、より恵まれない場合には、公的な共感を求める強い望みはまったくの不可能に終わった。詩人たちには多くの受難があったのは確かだと感じられる。今日、数千の作者が一人の読者ももたないことは確かである。だが、<印刷物>があることは、それが読まれる<かもしれない>という錯覚を与えてくれる。一日中売り場にあり、誰かが自分でも気づかぬうちにこの商品に目をとめるかもしれない。それは可能である。だが、古代の作家にとっては、それは単に物理的に不可能であり、劇や演壇以外の見ることもできないものに共感することはできるものではない。

 

 劇と演壇はこの厳しい物理的束縛を免れ、公表が可能になる。一般的に作家は隔離された酷い状況にあったため、結果として他の文学形式は無力となり、その分二つの形式が長所を伸ばすことになったと言えるだろうか。もし劇詩人scriptor scenicusなら公表できる。公的<ベーマ>あるいは演壇で弁者、<デマゴーグ>として認められていれば公表することができる。もしその考えが多数の心やきらめく目やざわめく共感によって反響を受けないうちは苦痛だというなら、唯一のはけ口をして口を開けているのは頭のなかにある火口である。大劇場は公表の機関であり、政治的広場も公表の機関だった。この二つの場では、激しやすい心とアテネ民衆の心とが可燃性ガスとなって灯火に供給されていた。