幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈28

あはれさの謎にも解し(とけし)時鳥  野水

 

  解しは解けしか解きしかはっきりしないし、句意もいささか朦朧としている。強いて解すれば、この句こそ場外夷にある者のことをいうもので、時鳥を聞くものには別離の悲しみがあると『西陽雑俎』、『華陽風俗記』などに見られるように、昔から言い伝えられたことなので、夷にある者に郷里のことがしきりに思い起されて、土地の風習に従い烏賊の甲の占いをしてみていつ帰れるのかと思ったのだが、そんな折りに時鳥を聞いて、やんぬるかな、この鳥の声を耳にしたわが身の末はどうなるものかと歎いている。時鳥は蜀帝の魂が化したという伝説もあり、死出の田長ともいわれる、それこれを思い合わすべきである。だとすればおそらくは誰にも「解けし」と読むべきである。ただし曲齋はこの句の確かな解釈をしないままに、いつものいま伝えられている諸本は再版をもとにして原本をもとにしていないというという自説により、「謎にも解し」は原板の誤読にもとづくもので、はじめは「あはれさの詩にも作し時鳥」とあったことに間違いはないといっている。「謎にも解けし」なら「にも」の二字に問題はないが、「詩にも作りし」ならその「にも」には歌にもよみ、詩にも作ったものだという意味に解釈すべきである。詩にも作ったというなら、時鳥のホケキョと泣くことを思い合わせるべきである。歌では時鳥はその声の清らかさを称讃されることが多く、従って待つの意味までもたせられることがもあるが、中国の詩においては、時鳥の雲間の一声は、故郷を思い旅情に耐えがたくするようにつくられたものが多い。時鳥の鳴く声は中国では"puh-joo-kwei-kh'eu"つまり帰去にしかずと聞かれるので、旅の途中にこれを耳にすると、詩情が動き、悲しみが発するのもまた自然なことである。曲齋の説も一応は納得される。だが、いまだ必ずしも認められないのは、後句との係りが捉えにくいからである。この句と次の芭蕉の句は再考三考すべきであり、武断して解を下しても益するところはない。

 

 こうした解をしたあとに新たな解を得た。この句の大体の意味は私が前に解したものとして間違いはないが、なお少し足らないことがある。これは画工の毛延寿に賄をしなかったために胡主に嫁入りすることになった王昭君のことを打ちかすめて作ったものである。昭君のことは『西京雑記』巻二にでていて知られているが、昭君が胡地に入ったのちはきっと憔悴して、花のような顔も衰えただろうと、白楽天も「いまかえって画中の中に似たり」と言った。これに基づいて、心敬は、「絵にかける女や姿かはるらん」という前句に「知らずえびすの国に入る人」とつくった。また連歌する人のために編まれた『連集良材』に、昭君のことを記して、同題で詠んだ歌、「足引の山がくれなるほとゝぎすきく人も無き音をのみぞなく」というのを挙げている。この歌は誰の歌かわからない。ただし、『拾遺集』巻十七、陸奥国下りてのち、時鳥の声を聞いて、実方朝臣の、「年を経て深山隠れの時鳥きく人も無きねをのみぞなく」という歌と少々異なるだけである。実方朝臣の方は時鳥に自分の身の上を重ねて詠んだことは間違いないが、『連集良材』には誰かが昭君を詠じた歌としてあげてあるので、連歌俳諧に親しんでいた貞亨のころの作者が『連集良材』に載っていることをおぼえていて、前句の「烏賊は夷の国の占方」といったのに、心敬が「知らずえびすの国入る人」と返した句にちなんで、同じ昭君のことを詠んだ「山がくれなる時鳥」の歌を打ちかすめて、「あはれさの謎にも解けし」と作ったのである。これで一句や前句との係り、余すところなく分明である。