トマス・ド・クインシー『スタイル』40

 紀元前四四四年から三三三年までの奔流のようなアテネ文学の流れは真っ逆さまに、劇詩あるいは演壇における雄弁の方向に向かったのだろうか。アテネ市民にとって、民衆の賞賛や共感を得ようとするならどちらかの道しかなかった。芸術家や軍隊の指揮官になるならば別であるが。だが、後者については外国からの傭兵が優先されることが多かった。ギリシャの政治の一般的傾向が愛国的競争心に目覚めた時期には文学のことというと(哲学は続いているが、それは個人的で排他的なことに誇りをもっていた)一方に喜劇や悲劇の劇詩があり、他方に政治的弁論しかなかった。

 

 そして、この民衆の耳に届く後者について言えば、いかにそれが悪用され、過度になりアテネの害に、災いになったかは、この職業から遠く離れることになった現代人の証言、あるいはこの職にあっても錯覚によって盲目的になっていないものの証言で十分である。この名前と力を恣にした最初期の演壇上の曲芸師と同時代人であったエウリピデスアリストファネスはこの公的疫病に度を超えた恐怖の念をあらわしている。「弁論家になりたいというなら」とアリストファネスは言っている、「七匹の悪魔の声φωνη μιαρα、本性においてならず者であることκακοζ γεγοναζ、公開広場において抜け目ないという資格が必要だαγοραιοζ ει」と。この民衆を誤った方向に導く一団に対する恐怖を例示するものをその作品の多くが残っているはエウリピデスから集めると小冊ができるほどである。

Τουτ εσΘ ο Θνητων ευ πολειζ οικουμεναζ

Δομονζ τ απολλυτ──οι καλοι λιαν λογοι.

 「素晴らしく整った街を、人の家庭を破壊するお上品な演説家よ」まるまる四世紀後のキケロは、ペリクレスからアレキサンダーまでの時代を振り返り、弁論家の<団結精神>には親しく、職業的雄弁の市民社会における使用には支持を表明するという片寄りのある立場ではあるが、正直な人間として、この忌まわしいほど悪用された弁論がアテネを破壊し、ギリシャの自由を滅ぼしたのだということを否定できなかった。Illa vetus Graecia,quae quondam opibus,imperio,gloria floruit,hoc uno malo concidit,──libertate immoderata ac licentia concionum.クインティリアヌスも職業的先入観から弁論家には好意をもっているが、同じような悲しい告白を強いられた。彼のものとされている演説で言うには、Civitatum status scimus ab oratoribus esse conversos.そしてアテネの例を引き合いに出す、sive illam Atheniensium civitatem (quondam late principem)intueri placeat,accisas ejus vires animadvertemus vitio concionantium.根から枝葉まで、アテネはこの邪悪で過激な弁論家にひれ伏したのである。現代政治で遠回しに過激派と呼ばれるものに弁論家は一人残らず属している。話す男οι λεγοντεζ、大衆を誤った方向に導くものοι δημαγωγοι(注1)の特徴(エウリピデスによってしばしば冷笑的にあらわされた特徴)は現代の過激派の先祖たるにふさわしく、彼らはへつらいの甘言に蛇の毒を混ぜて、対立する者や貴族たちに向かうのである。

"Υπογλυκαινειν ρηματιοιζ μαγειρικοιζ─

「口当たりのいい密の言葉で人を巧妙にだます」これはアリストファネスのあざけりに満ちた皮肉な忠告である。こうしたことを行うことによって弁論家は人の嫌うものより好むものを軽蔑することになる。そして、自主性を犠牲にすること、「自尊心をはいつくばらせる」ことは同じ目的をもつ競争相手やより高い身分のものに対するときに必要な仮借なさと虚偽のために絶好の訓練である。従って、エウリピデスが言うところによれば、この民衆の信頼を致命的なまでに悪用する者たちは、それ以前に大衆へのへつらいや外国の君主たちへの中傷によってアテネに悪影響を及ぼしたのである。数百年の後、あるギリシャの作家が、ペリクレスからアレキサンダーまでの最も興味深い百十一年を振り返り、アテネの弁論についての一般的な概略をあらわすにあたりエウリピデスの意見をまとめ繰り返していて、「指導者はそのだまされやすい虚栄心におもねった間違った教えによって大衆をだました」Ο δημαγωγοζ κακοδιδασ καλειτουζπολλουζ,λεγων τα κεχαρισμεναというが、チャーチストあるいは現代のジャコバン派一般についてこれ以上の言葉があろうか。これが、資金をもった者へのへつらいと真理の源泉への毒は彼の言っていることの半分である。他の半分は予言者として英国の未来を表現している、「そして大衆を中傷することによって、大衆を自国の貴族から完全に疎遠なものにした」και διαβολαιζ αυτουζ εξαλλοτριοι προζ τουζ αριστουζと。

 

*1

*1:(注1)「デマゴーグ」という語はアテネにおける政治的弁論家とパルチザンを示す専門用語で(あるいは、運動の先頭に立つものとしてπροσταταιとも呼ばれる)、ヘンリー・スティーブンのような正確なギリシャ学者が(リヴィウスの表現で言えば)、linguas promptas ad plebem concitandum potius των δημαγωγων fuisse quam των ρητορωνデマゴーグが弁論家とは異なったものであるかのように仮定しているのは奇妙なことである。だが、ヴァルケネアが言うには、この二つはすぐに結びついた。アテネの弁論家のすべてがデマゴーグではないが、デマゴーグはすべて実際のところ、そして専門的には弁論家と呼べる。