トマス・ド・クインシー『自叙伝』5

第二章 幼児期の苦悩

 生まれて六年目の年が終わろうとするころ、突然私の生の第一章は暴力的な終わりを迎えた。この章は回復された楽園の扉のなかにおいてさえ思い起こす価値がある。「人生が終わった」というのが私の心にあった密かな疑念だった。というのも、幼児の心は幸福に加えられた重大な傷に関しては、最も成熟した知恵と同じくらい明敏なものだからである。「人生は終わった。終わってしまった」というのは隠れた意味であり、私自身半ば無意識のうちに吐息とともに洩らしていたのである。夏の午後遠くから聞こえてくる鐘の音は時にある言葉を、警告の知らせをしながら終わりなく鳴らされているようであったし、そうでなくとも静かな地の底からの声が私にだけ聞こえるように秘密の言葉を途切れることなく繰り返しているかのようだったのである。「いまこそ生の花が永久に枯れしぼむときだ」と。こうした言葉は私の耳に聞こえてくるのでも私の口から言葉として出るのでもなかった。この囁きは私の心に静かに忍び込んだのである。だが、こんなことがどうして真実であり得よう。六歳にもならない子供にとって生の前途が枯れ果てているようなことが、黄金にも匹敵する歓びが涸れてしまうことが可能だろうか。私はローマを見たか。ミルトンを読んだか。モーツアルトを聞いたろうか。いいや。聖ピエトロ寺院も『失楽園』も『ドン・ジョバンニ』の神々しいメロディーも私の前にはあらわになってはおらず、それも私の境遇によるというよりはそれらを味わうのに必要な私の感受性がいまだ不完全だったことによるのである。これらのものがもたらしてくれる歓喜は遅れていたかもしれない。しかし歓喜かき乱された歓びの様態である。愛に属する平和、休息、安全は理解の及ばないものとなり、二度と戻ってくることはないだろう。深遠な愛、嵐によっても嵐に対する恐れによってもかき乱されない平和は子供時代の四年、一番上の姉との特別な関係によってもたらされ、私を包んでいた。彼女はその時私よりも三歳年上だった。この愛情のこもった関係が突然の崩壊に至った状況を詳細に述べてみよう。それをよりわかりやすくするために我々が生活していたのどかな、人里離れた場所のことをまず書いておこう。()
        

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*1:1.このスケッチでは理解しやすくするために他の場所には重要ではない家族構成に注意を促すような機会があるので、ここで、年齢順に私の兄弟をすべて列挙しておく。ミルトン風に自分自身も含める。兄弟の順番に私自身を数えることは、ミルトンがアダムを彼の息子のうちで最も器量のよいものと言ったのと同じく論理的正当性がある。総じて言えば八人の子供が数えられる。四人は男で四人は女であるが、六人以上が生きて揃ったことは一度もない。1ウィリアム。私より五歳以上年上である。2エリザベス。3ジェーン。生まれて四年目に死んだ。4マリー。5私。確かに兄弟のうちで最も器量が良いとは言えない。6リチャード。我々はいつもピンクと呼んでいたが、彼は後に、ワーテルローがある日、他の下士官と区別するために海軍将校候補生に消灯器をつけるようになるころまで、その当時英国国王陛下の海洋と呼ばれていた(つまり大西洋に太平洋)海で海軍将校候補生として揺られていた。7二番目のジェーン。8ヘンリー。父の死後生まれた子供で、オックスフォードのブレイノーズカレッジに属し二十六年目の年に死んだ。