幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈35

今日は妹の眉かきに行  野水

 

 漢の張敞の故事などを引いて解釈するのはここではあてはまらない。妹とあるので、夫婦閨房の痴態ではないことは論ずるまでもない。眉を描くのは、青い黛でその人の顔の輪郭に似合って美しく見えるように描くもので、眉の形にはいろいろある。「春の日」の奈良坂の巻に、「内侍の選む代々の眉の図」という句があり、上代宮中の宮女のあいだのことであるのはいうまでもない。前句はこのしろを貰うような田舎の修験層めいたものの言葉であるのを、ここではしかるべき身分にあるものの身のことと取り、星孕むなどという普通ではない言葉に目をつけて、実際に栄え貴いあたりのこととみなし、妹にいくつもの星が宿るような幸せがあるようにと祈る者の、眉は分けても大切なので美しく似合うように描いてやり、君の御覚えもめでたいようにしようと、様々なことに心得あるものが妹のもとへ行く。眉の作り方には、一には開元御愛眉、これは楊貴妃の眉の形を学んだものだろう、二に小山眉、三に五岳眉、四に三峯眉、五に垂珠眉、六に月稜眉、七に分稍眉、八に涵烟眉、九に仏烟眉、十に倒暈眉、そのほかにもあるだろう。何についても中国のことを尊んで学んでいたころには、化粧のことも普通の者には知るところではなかった。だとすれば、いい歌の一首も読めるであろう、あわれを知っているような顔をした某の僧のうちに秘めたものを、世相の実際はこうしたこともあると、まさにあるはずのないようなことを却ってこういったものである。またこれを僧としないで、陰陽師などにするのも、無難なものとして理解される。いずれにしろ、平安朝の糜爛した頃のありさまの面影を見せて、辛辣刺すようで当たりにくい句だというべきである。験者では浮蔵、歌僧には道命のような、女を犯し弄んではばからず、室町末流の兼好にいたっては、公然と仏祖が弾劾したものを称讃し、また後には、真言宗立川流のような邪教が成立して、世俗で秘密に耽溺されていることを煽った。僧だとしても妹の眉を描くとはどういうわけだろうか。およそ世の中で僧、医者、呪い師、祝儀不祝儀に関わるものほどくせ者が多い。この句、荷兮の前句を一転し得ていて絶妙である。旧註に、昨日は叔父が大納言に出世し、今日は妹が内裏にあがると聞いて眉を描きに行き、明日は何々とこの頃は一門の内に幸いが続いたので、我が身も望みが叶ってきっと御胤を宿したろうと、他の喜びを知って自分の身の上を思いやるさまだとするのは従いがたい。妹の眉を描くことはあり得るが、眉かくとのみあるのを内裏にあがる喜びに加えて、自分もまた孕むとするのは理解しがたい。眉を描くのは内裏へあがる者だけがすることではなく、また妹が貴いからといって自分も星を孕むというのも心得がたい。また一説に、姉妹が同じように宮仕えしていて、姉は君の御胤を宿るようにと祈るのに対し、妹はまだ世の中のこともわかっておらず、なんの心遣いもないので眉なども描いてやる体だというのも従いがたい。姉妹が同じように務めることもないことではないが、この解に従うと、前句との付けが非常に薄く、また、眉かきに行くという「行く」の一語が落ち着かず、妹の局に姉自らが行くのか判別しがたい。また、妹のの「の」の字を主格の「の」文字として所有格の「の」文字としないで、妹が眉をかきに行くと解するのは、全体がぼんやりして却って意味が通じるようでもある。しかしこの場合も「ゆく」の一語の落ち着く場所がない。町の髪結いに髪を結ってもらうように、眉を描いてもらいに行くということがあるかどうか、非常に疑わしい。