幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈36

綾一重居湯に志賀の花漉きて  杜國

 

 旧解が多々あって、その是非を急には定めがたい。ある本には、志賀の山水を家風呂に汲みいれて、浮いた落下を綾ですくい取る様子だとある。家風呂を居湯といった例があるか、まずそれが疑わしく従いがたい。ある本には、居湯の御所は大塔宮の旧跡で志賀にあるとしている。大塔宮と妹の眉を描くのとなんの縁があるのか、理解できず、従いがたい。『大鑑』の説では、居湯は釜のない風呂桶であり、桶の上に漉し輪というものを置いて塵芥を取るものであり、禁中のおもむきを見るべきだと。貴人が入浴するとき、火を焚くところと接しない桶のなかに湯を湛えて用いることは実際にあることである。だが、それを居湯といった例はまだ聞いたことがない。たとえ居湯というとしても、綾や羽二重で湯にあたって崩れた花びらを漉すことにどんな風情があるだろう。また前句との係りもわからない。この花を漉してから妹の眉を描くのか、あるいは前句の美人にかしずいた後のことなのか、解釈しても解釈しかねる部分が残る。『婆心録』の説では、自分の務めである湯を漉し終わり、異なる詰め所にいる妹の眉をかきに行き、今日はなにかと忙しいなどと語る様の逆付だとある。『婆心録』の解に従えば、この句はもちろん姉の上にかかり、前句も眉をかきに行くのも姉の上にかかり、そのまた前の明け方の星孕まんとするのも姉の上にかかり、三句みな一人のこととなるのは、『婆心録』もまた極端すぎる。眉かく句を中にして、前後の句がみな同じ人にかかるのは、連句の規則としては通常あることではなく、なぜ曲齋はこうした解をして自ら疑うことをしなかったのか、他の解釈を得ることができなかったので、やむを得ずこの解にたどりついたのかどうか。特に旧刻の『七部集』の居湯にヲリユと傍訓が付けてあるのを再版の間違いとして斥け、すゑ湯と読んで、何丸の説に依拠したのは口惜しいことである。すゑ湯という語は他の書物には見られない。居風呂は居風炉桶を略したもので、風炉を桶にはめこんだことからできた名であり、座薬をすゑぐすりというように、すゑの意味を理解するべきである。すゑ湯という語は、用例はあるが理解できない。居湯にとくに傍訓をしたものは、きっとすゑ湯などとあて読みして居風呂の雅言だと思うものがあろうかと心配したのだろう。傍訓をしたものは、特に根拠もなく妄想を巡らせたのだろう。ただし「をり湯」という語も居湯という字面もまだ見たことがない。だが、すゑ湯という語はないが、「おり湯」という語は中古には確かにあった。思うに、「をり湯」は「おり湯」の誤りであり、居湯は下湯の当て字でもあろうか。俳書の文字は必ずしも正確厳密ではなく、『猿蓑』の越人の句、「茶の花や惚れる人無き霊聖女」とあるのも明らかに霊昭女の昭を聖と誤っている。また、「お」と「を」の誤用は中古以来のことで、いわゆる定家仮名遣いに従うものは「を」を「お」とし、「お」を「を」として、正しいとしていたので、いまの基準で昔を咎めることはできない。今は入浴することを湯浴みというが、もとは湯浴みは湯あびで、『枕草子』などにも湯あびと明記され、温泉で病を治すにも、昔は身を浸すことよりも柄杓で湯を注ぎかけることを主としたことは、いまもなお古風を守っている湯葉では必ず柄杓を備えていることでもわかることで、『竹取物語』に「筑紫へ湯あみ」と書いてあることからもこの語の用い方を推察すべきである。水浴びは水をあびることであり、湯あみは湯をあびることである。用い方が変じてからは湯あみといえば湯に浸ることのようになったが、昔の使い方は既に述べたようなものだったので、中古には「下り湯」という語が生じ、下り湯は湯壺湯桶に下りることである。『保元物語』為朝が捕らえられるくだりに、「古き湯屋を借りて、常に下り湯をぞしける」とある。下り湯はあるいは居り湯なのかもしれないが、下り湯であればおり湯であるべきで、居湯にをり湯と傍訓したのはこの言葉を用いたものと思われる。さて、旧本の傍訓を、曲齋のように根拠もなく斥けて、また根拠もなく強いて「すゑ湯」と読むことをしないで、おとをの相違はあるが、旧に従って「おり湯」と読めば、解釈も非常に容易で、一句も華やかでよろしく、光輝を生じるかのようである。まして、京阪地方ではおり湯という言葉はいまも稀に使われることがあるという。とすればこの句の「綾一重居湯に志賀の花漉て」は、前句の妹の居るあたりのありさまで、綾で囲った下湯のところに綾一重なので志賀の花の影が見える様子である。湯に幕を張るのは今でこそしないが、昔は多いことで、温泉地にはいまも幕の湯という言葉さえ残っているところがあるほどである。志賀の花を詠んだ歌が多いのは歴代の撰集にも明らかで、人の知るところである。漉は字書に滲とあって、本来は水の滲むことだが、ここでは花の綾の囲いのなかに入ることをいっているのは明らかで、一重という語も理由なく使われたものではないのを知るべきである。「漉て」とあって送り仮名がなければ、「漉して」と読まず、「すきて」と読む人もある。「冬の日」初雪の巻の「窓に手づから薄葉を漉」は薄葉をすきである。漉の字がすくとも訓ずることから、すきてと読んで透きての意味だとするのも間違いではなく、綾一重の一重の語の特に生彩があるのを感じる。煩わしい論には及ばない。ただ『大鑑』にあるように漉きてと読んで、すくひての意味に解釈するのは間違っている。幾度となく読みあげて味わってみれば、前句との係り、この句の心、自ずから理解されるだろう。