幸田露伴芭蕉七部集『冬の日』評釈の評釈38
初雪の巻
思へども壮年未だ衣振はず
初雪の今年も袴きて帰る 野水
左太沖の詩に「被褐出閶闔、高歩追許由、振衣千仞岡、濯足万里流」とある。被褐懐玉は徳を包み世を避ける意味で、『孔子家語』に出ている。閶闔は洛陽城西門のこと。許由は朝廷に位があったが、退いて山のなかで畑を耕していた。振衣濯足は『楚辞』に出ている言葉だが、左太沖は面白くそれを用いて、ここでは官位に執着しないで宮廷を出て、山と水ばかりの自由な境遇をうそぶいているところを歌っている。野水の前書きと句の意味は、これを知っていれば自ずから明らかである。袴きて帰るは、洛陽城を出ることに基づき、その反対である。嘆息の情が満ち満ちているのが言わないことの裏にみられる。しがらみを脱して、風雅に遊ぶことを願っても、願うことは長いが意図はいまだ遂げられず、今年も初雪がちらつく美しい景色に対して、小さな袋などをもって、公的私的なしがらみを逃れ得ないで市中のわが家に帰ることよ、と述べたものである。だが、野水のこの句と前書きは、左太沖の詩句を引いてつくったというよりは、それよりあとのひとではあるが杜少陵の詩の句を引いたというべきだろう。詩の意味はもとより同じである。野水は名古屋大和町備前屋左治右衛門という。町年寄りなどを務めたという。